小彼岸桜のズクなし写真ブログ

デジタタルカメラで小旅行や近場の被写体を自分流で写し止めたものを不定期に更新していきます。

大和郡山城跡 其の1 (2014年04月07日 月 晴 EOS5DⅢ)

2014年04月15日 | EF24-70mmF4L IS
                 本日の三つ目の訪問先は大和郡山城跡 其の1です。

               満開を僅かに過ぎて、既に散ってしまった桜もありましたが、雰囲気だけが伝わればと思います。


               一番格好の良い風景ですが残念ながら桜は散って仕舞って一番綺麗でない状況でした。
               又、電線やら電柱やらが邪魔していたので、此処までのズームと成りました。
               こんな枝垂れ桜の時期を逃し少し残念でした。

               




               堀の方は場所によって様々な状況でした。

               




               中々格好いいですよね。右側はこの雰囲気を艶消してしてしまう建造物でした。

               




               桜祭りの真っ最中でした。

               




               この辺の堀の周囲は今が盛りでした。

               




               郡山の生い立ちを是非目を通してくだされや。
               何とか神社へ通ずる所の入口。

               




                  神社の狛犬1.

                  




                  神社の狛犬2.

                  




               初めての訪問で撮った写真の説明がアヤフヤで申し訳ないです。

               




               豊臣秀吉の弟である豊臣秀長は、筒井家の後を引き継ぎ、天正十三年(一五八五)に郡山城に入城しました。

               




               秀長は、優秀な実務派であり、秀吉の参謀役として数々の功績を立て、郡山に入ったときは、
               大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有しました。

               




               豊臣秀長の没後は、水の勝成や松平忠明、本多正勝など領主が目まぐるしく変わりました。そして江戸時代、
               郡山繁栄の立役者として活躍したのは柳沢吉里(柳沢吉保の長男)です。柳沢文庫。

               




               様々な分野にわたり長じた才覚を示した柳沢吉里は、郡山を大和の国における経済・文化の中心地へと導き、
               柳沢家は明治維新までの百四十七年間、六代にわたって郡山藩政を担いました。

               




               吉里は、郡山に養蚕を持ち込み奨励し、経済を振興させました。

               




               吉里の趣味の金魚については次回で載せます。

               


               次回最終です。

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