おわら風の盆 其の3 最終 です。
他の民謡と同じで初めは唄だけで、そのうち楽器が入り、そして踊が入って来た。
何故「おわら」と云うようになったのか?その説はハッキリしていませんが、
江戸時代文化のころ、芸達者な人々は、、七伍調の唄を新作し、唄のなかに「おわらひ(おおわらい)」という
言葉を差しはさんで町内を練り歩いたのがいつしか「おわら」と唄うようになったというものや
豊年満作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘がが唄い始めたからと云う「小原村説」などがある。
何故「風の盆」というのでしょうか? 二百十日の前後は台風到来の時節
昔から収穫前の稲が風の被害にあわない様に豊作祈願が行われて来ました。
其の祭りを「風の盆」と云うようです。又富山の地元では休みの事を「ボン(盆日)」という習わしがあったと云われています。
種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などが有り、その「盆」に名前の由来があるのではないかとも云われている。
おわらには「豊年おどり」・・町流しや輪踊りを中心。「男踊り」「女踊り」は主にステージなどで披露される。
しかしながら、その振り付けはホントに独特ですね。
お寺の本堂がステージみたいに成ってホンの少し年配の踊手が披露しています。
男女の踊り。
レンズが50㎜単焦点レンズなので、レンズが明るいのは良いが、引っ張れないのが残念だ。
顔が見れないのが歯がゆい。
そろそろ信州へ帰る時間が迫って来ました。これが最後の画像です。
おわら風の盆 終わります。
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