雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

憤っている

2007年07月24日 | 卓球
 糸島自然塾理論に惚れた中学の先生がいた。
 即、子供達への指導方法を変えた。糸島自然塾へも来塾して、その正しさを確信した。
 愛弟子達は、中2と中1の11月から新たな卓球に取り組んだ。
 そして、中2の子達は中3となった翌夏の関東大会で東京の有名私立中学を徳俵まで追い込んだ。今一歩で涙を飲んだが、全員が中学からの卓球、さらに7ヶ月前に従来の卓球とは正反対の卓球に取り組んだ子達が成し遂げた快挙だ。

 当然のことながら、後輩達が先輩の為し得なかった夢に向って、一直線に走り出す、あの先輩達の死闘を目の当たりにしたら走り出さずにはいられないのだ。

 少し時間を戻すが、その年の4月には新入部員が入ってくる、その先生にとっては、ラケットを握らせたときから糸島自然塾理論を擦りこんだ初めての生徒達なのである。
 先生にとってみれば、卓球を変えてわずか7ヶ月で関東大会で強豪チームと互角に渡り合えた、だったら、次の学年では全中が見えてくる、さらにラケットを握った最初からこの卓球を教えた子達の代には、どんな栄光が待っているのだろうか、と考えたはずだ。

 新中1年生達は、面白いように短期間で成長を遂げた、彼女達なら全国が見える、と関係者諸氏は誰しもが思った。

 ところが、意に反して「転勤」という如何ともし難い現実が訪れた。父兄達の懇願署名も届かなかったらしい。


 そして1年半が経った今がどうなっているか、その先生が新たに赴任した学校は1年半で地区大会で勝った、3年生は一人もいない。
 対する先生の前任校は、団体戦ではかろうじて3位で県大会に駒を進めたものの、シングルスでは一人も県大会に出場する権利を得られなかった。
 決して、後任の先生がやる気の無い顧問だったのではない、むしろ誰よりも卓球の指導に心血を注いでいる先生なのである。
 しかし、卓球に対する理論を持っていなかった、いろいろな指導者に教えてもらう卓球の全てを取り込もうという姿勢・考え方の人であった。

 今、私の塾には中1の11月から糸島自然塾理論による卓球をしてきた高1になる女子2名が来ている、そのうちの一人の妹がラケットを握ったときから糸島自然塾理論の卓球を教えられて、途中で先生が変わって、3年の最後の夏には地区予選で敗退した子なのである。

 今日、その子が初めて私の塾にやってきた、その子の1年生の時の卓球を知っている私には、あまりにも変わり果てた無残な姿を見ることになった。

 「リハビリ」と称して少しづつ治してやったら、2年前の弾けるような動きが戻ってきた、そして練習が終わった後、その子に「どうだった?」と聞いたら、「やっぱり糸島はいいです」という答えが返ってきた。

 おいおい、そこの指導者、子供達の可能性・やる気を奪って、今、何を思う?
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新しい縁が生まれたようです

2007年07月23日 | 徒然
 今年から、少し気を入れて始めた農業、土日の半日づつくらいしか時間が取れないし、何か用事が入ってしまったり雨が降ってしまったりすると、2,3週間は作業が出来なくなってしまうことも間々あって、とても女房と二人ではやりきれないと思い、1ヶ月くらい前に、「家庭菜園として、ご自由にお使いください」という看板を立てたのです。

 田んぼの近くには、新興住宅地があり、犬の散歩などで田んぼの脇の道を通る方も多いので、おそらく直ぐに、そんな誰かから連絡があるだろうと期待していたのです。
 ところが、1週間経ち2週間が経過しても誰からも何の音沙汰も無いので、「やっぱり、荒地を耕してまで家庭菜園をやりたい人なんていないのか」とすっかり諦めていたのです。

 そうしたら昨日、私と女房で作業をしているところに、犬の散歩をしていた男の方が、近くにいた女房に何やら看板を見て話しかけているのです。
 「むむっ、これは脈ありか?」と思っていたら、案の定、女房が私を呼びました。
 草刈機のエンジンを止めて行ってみると、「お借りして畑をやりたいのだけれど、『ご自由に』と言われると借りづらい、『これだけの面積でいくら』と言ってもらいたいのです」と言うのです。
 「いえいえ、こちらとしては使ってもらえれば、草刈りをする手間が省けて助かりますので、ホントにお金は要らないのですよ」
 「いやぁ、そうは言っても・・・」
 「ホントにいいんですよ・・・」

 そんなやり取りを何回か繰り返した後、結局、作ってくれるということになりました。

 なんか、新しいジャンルでの出会いが生まれたことに、とても嬉しさを覚えたのです。

 田んぼの畑に行く楽しみが増えました、田んぼの土も喜んでくれるでしょう。
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ゾウさんの県大会が終わったそうだ

2007年07月23日 | 卓球
 シンノスケとヒマワリにくっついて、半年くらい前から練習に通ってきていた中3のゾウさんの県大会でした。

 地区毎のレベルの差はあれ、地区大会2位という成績を引っさげての初めての県大会出場、「あわよくば関東大会へ」と期待していたのですが、頭の中が真っ白になってしまっての初戦敗退だったそうです。

 とても残念ですけれど、まぁ仕方の無いことかもしれません。
 半年前までは、夢のまた夢という舞台だった県大会に、意識もせずに上ってしまったわけですから、上ってみて初めて足が震えだしたのでしょう。
 私も、デビュー戦だった中1の新人戦の地区大会の初戦、サービスのイップスに陥ってしまって11本のサービスミスをして負けましたから。

 ゾウさんの卓球人生なんて、まだ始まったばかりのヨチヨチ歩き、今後もずうっと卓球を続けていけば、今日の敗戦も良い思い出の1ページになるはずです。

 とりあえずは、「おつかれさん」

 また練習に来いよ
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縁というものは忘れた頃に知るものなのかも

2007年07月11日 | 徒然
 私の勤めるカフェには、ギャラリースペースがあって、絵画・書道・写真・○○アートなどなど、多彩な芸術品を毎日展示しているのです。
 現在展示しているのは、石川兄弟8人展というもので、昨年に続いて2回目の展示なのです。

 今日、カフェとは別のビルに出社していたら、カフェのスタッフから電話があって、「石川兄弟展の関係の人で、私を知っている人がカフェに来ているので、カフェに来てください」、とのこと。
 もしかして、あの石川さん?と思いながらカフェに行ってみると、「あの石川さん」でした。

 私が、子供達に卓球を指導し始めた20数年前に初めて教えた子のお母さんでした。
 石川さんに会って、いろんな思い出話に花が咲き、また現在の子供達のことなどにも話が及んだのです。
 そんな話の中で、石川さんの33歳になる長男坊が、未だ独身だということで、「うちの娘なんかどう?」と持ちかけたら、「今度、卓球しがてらに連れて行く」ということになったのです。

 今年に入ってから、会社の仕事上で知り合った刑事さんが私の一番弟子だった女の子の親代わりをしていてくれたということを知ったり、今日はまた、カフェの展示でお世話になった方と繋がっていることが判ったりと、人の縁というものを本当に感じることの連続です。

 「一期一会」、誠心誠意接すれば、忘れた頃に何らかの形で、跳ね返ってくるもののようですよ。

 営業部長とのお見合い、うまくいってくれたら さ・い・こ・う
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津田一真塾に来るということ

2007年07月08日 | 卓球
 ひさしぶりに、あるクラブの指導者が生徒を連れてやってきたのである。
 前回の来塾の際に、一真塾の卓球を教え込んで、「この卓球を追及する」と言って帰っていったので、どれくらい進化しているのかを楽しみにしていたのである。

 ところが、やってきた生徒に球出しをした一球目で、その期待を踏みにじられてしまった。
 前回指導した時の指導前の卓球から何も変わっていない、あれから一体何をやっていたのだ、これではうちに来る意味がないだろう、と、正直憤慨したのだけれど、聞けば、周りからの執拗なプレッシャーがあり、やりたくてもなかなかこっちの卓球をやることが出来ないということらしい。

 でも、大人の世界ではいろいろ難しい付き合いがあるかもしれないけれど、それに振り回される子供にとっては、とんだ迷惑な話ではないか。
 昨日まで、自分の所属するチームで教わっていたことを、今日全面否定されて180度違った練習をさせられ、また明日になると自チームの良しとする卓球に戻されるのである。

 大人の論理からすれば、いろんな考え方・卓球を知ることによって幅が広がるとでも言うのだろうが、子供にとってみれば、「一体どっちの卓球が正しいのよ?どっちの卓球をすればいいのよ?」と思ってしまうだろう。

 津田一真塾に来るということは、一度目は「どんな卓球理論なのか知りたい」ということもあるだろうから何も言わないけれど、再度の来塾ということであれば、この卓球を追及していなければいけないのである。

 いやいや、一回では判らないから二回・三回と来て、理解を深める必要があるのだ、というようなことを考えているならば、それは全くの論外、永遠にこの卓球を理解することが出来ない人間なのである。

 この卓球を一目見て、理屈に抜きに(理屈に適っているのだけれど)美しいと思える人間でなければ、絶対に理解することは出来ない卓球が、この卓球なのである。

 今回、再度の来塾をした子に、再度この卓球を教えたら、実に美しいフォームで、それまでのボールとは天と地ほどの差のあるボールを打ち出したのである、あのフォームとあのボールを見て、踏ん切りのつかない指導者であったら、津田一真塾への来塾は意味のないものであるから、私は受け入れない。
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