昭和52年4月1日から始まったサラリーマン人生が、本日をもって終了しました。
今の心境は、何か客観的に、自分の人生の長編ドキュメンタリー映画を観終わり、映画館の椅子から立ち上がったような気分なのです。
とっても面白い映画でしたね、もう一度観たいとは思いませんけれど(笑)
ーFineー
吉田拓郎 「ah-面白かった」 カラオケ
この唄のリズムが、私の歩調とピッタリ合って、とても歩き易くなるので、この唄を聴きながら、川口駅から会社まで1.2キロの道のりを歩いているのです、所謂、私の『行進曲』とも言うべき唄なのです。
『行進曲』って、子供の頃から、何の疑問も持つことなく、運動会や甲子園の入場行進で慣れ親しんでいましたけれど、『行進曲』には 歩き易くする という効果もあったんですね。
日常生活の中で、無意識にやり過ごしていることが、まだまだ沢山ありそうですね。
来月からは、たっぷりと時間が出来ますので、なぜなぜ問答に取り組んでみましょうか、ボケ防止にも繋がりそうですから(笑)
パラレル 吉田拓郎 TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 Live
この唄の内容と、全く関係のない話になってしまいました、B型の脳内運動は、いろんなことが常にパラレルで動き回っているので。。。
タイトルには繋がった(笑)
『永遠の嘘をついてくれ』が生まれるきっかけとなったのが、この『ファイト』なんですね。
拓郎がスランプに陥っていた時、この曲を聴いて、「俺には、こんな唄は作れない」と本気で引退を考え、中島みゆきさんに「遺書のような歌を書いてくれ」と頼んだのでした。
たしかに、この『ファイト』の歌詞は、生々しいというか毒々しいというか、常人の発想をはるかに超えてますからね。
拓郎をもってしても、衝撃的だったのでしょうね。
流れ星って、願い事を唱える暇もなく、あっという間に消えてしまいますよね。
人の一生も、地球時間で考えたら、一瞬のことなのかもしれません。
ここ最近、このカテゴリーの投稿が増えてます、無性に拓郎の唄が聴きたくなっているのです。
もうすぐ、人生の転機が訪れます。
拓郎の曲のタイトルって、だいたい歌詞の中に含まれている言葉か、歌詞の内容を包含したものなのですが、この唄のタイトルに限っては???でした。
後日、拓郎の口から明かされた真実は、『この曲が出来上がった時、たまたま窓から外を見たら、【トヨタ マークⅡ】が走っていたから』ということでした。
どおりで、いくら頭を捻っても、曲とタイトルが結びつかなかったはずで、大笑いしたことを覚えています。
そろそろ、時の流れを知る日が来そうです。
拓郎が50歳の頃、歌を作れないスランプに陥り、引退をも考えて、中島みゆきさんに『遺書のような唄を書いてくれ』と頼み込んだのだそうです。
高校生の時から拓郎の追っかけをしていて、デビュー当初は『女拓郎』とまで呼ばれていた中島みゆきさんが、拓郎の遺書のような唄など当然書くはずもなく、逆に拓郎への強烈な叱咤激励の応援歌として出来上がったのがこの曲です。
譜面を炙り出すと、きっとこう書かれているのでしょう。
『拓郎は幾つになっても拓郎のままでいてくれ』
この唄と『ファイト』と『証明』を聴きながら、ラピの散歩をしているのです。