雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

ビックリしました

2011年04月27日 | 徒然
 BSフジのプライムニュースで、今後の地震・津波の防災対策について、国の有識者や静岡・鳥取の危機管理の責任ある方を一同に介した討論会が放映されました。

 その中で、ビックリしてしまったのは、過去の地震による津波を想定した現行の防災対策において、静岡では225人、鳥取では15人の死亡者が出るであろうと淡々と喋っている危機管理監の言葉でした。

 防災対策って、一人の死者も出さないことが大前提なんじゃないですか?

 死者数を想定できるということは、津波が来たら危ない地域を限定・特定できているということなんじゃないでしょうか?

 その特定された地域に住んでいる住民に対して、そのリスクをきちんと説明できているのでしょうか?

 生きるものの命を第一義に考える日本の国だと思っていたのですが、大きな疑問が生じてしまいました。

 番組に出ていた有識者達も、「想定外を想定内にすることが肝要だ、現実を見据えての対応が大切だ」などと物知り顔に平然と言っていましたが、想定外を想定内にするって可能なことなの?現実的な対応って何をすればいいの?って思ってしまいます。

 「事件は会議室で起きてるんじゃない」 ぶん殴りたくなりますね。

この人も被害者だと思うのです

2011年04月26日 | 徒然
 昨日、社宅の近くの居酒屋に友人と二人で飲みに行きました。
 2時間くらい経った後でしょうか、見知った方が一人でお店に入ってきて、周りを伺うようにしながらカウンターの一番隅の席に座って「定食」を注文しました。

 注文してからも再度周りを気にして、私と目が会いました、、、東電の方なのです。

 ひどく憔悴しきっていて、10歳くらい老け込んでしまったように見えました。

 近寄っていって、手を握って「頑張ってとは言えませんが耐えてください」と言うのがやっとでした。

 原発の影響で自宅から離れ、家畜を見殺しにせざるを得ない方々には大変申し訳ない言い方かもしれませんが、彼もまた原発の被害者の一人じゃないかと。。。

 「責任」という重い十字架を背負い続けながら周知の目に晒され後ろ指を差され続けていく人生が続いていくのです。

 どこかにはリスクの危なさを感じながらも今回の舵取りを間違って判断されたことは解ってる人は居るのしょうが、その人たちはほんの一握りの人たちだけであっただけで。大多数の東電関連会社に勤めている人達の多くは、ただただ懸命に原発を安定させるための過酷な労働、精神的な苦痛に耐えてらっしゃるのだと、改めて今回の原発事故はいろんな立場の人たちの生活をぶち壊してしまったのだなぁと心が痛みました。

 いつか生き残った私達に、ホントの笑顔が戻ってくることをひたすら祈るしかありません。

 すこーしづつ、すこーしづつ前に進んでいくしか道はないのですから。

 「人」という字は、人と人とが支えあう姿を表したものだと聞いたことがあります。

「ささえあおう 福島」

頑張ろうって言うけれど

2011年04月22日 | 徒然
 被災地や避難場所に実際に行ってみたら、言えない言葉ですよ「頑張ろう」なんて。

 十人十色なのかもしれませんが、頑張りたくても、もう頑張れないって人が大多数ですよ。

 耐え忍んでるだけなんです、支援に行ったとか頑張ろうとか言わないでください、黙って黙々とやってください。

 
 風評被害で差別される子供達、避難生活だけで疲れきっているのですよ、大きな心で包んであげてください、本当にお願いします。

 福島ってニッポンですよね