今日は
23回目の
結婚記念日
でした
久しぶりに
結婚指環を
嵌めてみたら
くい込んで
鬱血しそうでした(笑)
24年目にして
結婚情報誌
ゼクシィを
買いました
レジのお姉さん
が
明らかに
戸惑っていました
(せめて、33歳からの大人のゼクシィ。
というのもあるのにな、
このヒトいくつ?的な・・)
いやいや
ムスコが結婚するからね〜
なんて
ココロで
言い訳しちゃいました
あの頃は
無かったよな
ゼクシィ
ふ〜ん
ゼクシィ
って
男女の染色体
XY
が
語源なんだね
(wikiより)
妙なコトに
関心したりして
読み進めていくと
イマドキの結婚事情
が
なんとなく
朧げに
浮かび上がってきました
仲人さんもいない
でも
情報だけはウンとある
今の時代
自分たちらしさ。
って
見つけやすいのかな
見失いがちになるのかな
XとY
だけの
至ってシンプルな
カタチづくりの筈が
XとY
だけだから
根本違っているコトに
気づき
戸惑い
いつか
それを
越えて
結婚生活を
愉しめる日なんて
きっと
うんと
後のコト
ワタシ自身
いまでも
正直解らないコト
だらけだから
人生の先輩としても
経験者としても
諭すコトなんて
出来ないけれど
やはり
一緒に暮らす
って
一緒に生きる
って
ヒトとして。
の
常識
が
メイン
で
其処に
女性の可愛げ
や
男性の逞しさ
が
加味されるコトによって
キャッキャッしたり
ウキウキしたり
ジンとしたり
するんだろうね
(擬態語でしか表現出来ずに
ゴメンなさいね)
23年もの月日
は
心身共に
成長すべきモノ
だったろうけれど
正直
贅肉や歪みを
つけるのにも
充分すぎるほどの長さ
あとどれだけ生きるかも
あとどれだけ一緒に居るのかも
計り知れないけれど
ただ
云えるのは
健やかな心身あっての
共同生活
共同作業
おはよう。
いってらっしゃい。
おかえりなさい。
おやすみなさい。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
だれにでも
たいせつなものが
あって
だれもが
だれかの
たいせつなひとで
あって
だれも
だれかのかわりには
なれなくて
あたりまえに
あるものなど
ほんとは
なくて
てをのばせば
とどくもの
を
しあわせ
なんだと
きづくのは
それを
うしなった
あと
だったり
それでも
だれかを
じぶんとおなじくらいに
おもってみたり
いきてさえいれば
また
いつか
めぐりあえるんじゃないかって
あわいきたい
を
いだいたりして
わすれない
それは
たやすいことに
おもえるけれど
とても
むずかしい
わすれること
は
まえにすすめる
ということ
うすれること
は
ゆるす
ということ
そう
おもっていたけれど
あのひ
が
おしえてくれた
わすれられないもの
こそ
まえにすすむ
げんどうりょく
に
なること
うすれていくこと
こそ
ゆるされざる
じじつ
だということ
だれもが
だれかを
おもうひ
3.11
ようやく
玄関先の
緋寒桜が
咲き始めました
例年よりは
数日遅いのですが
それは
客観視するモノの
捉え方
花は
遅いとか
早いとか
関係無く
咲きどき。
に
咲くのみ
なのでしょうね
80代の常連さんと
昨日
シアワセ。について
話していて
「互いがシアワセなら理想ですね」
と
云うと
ピシャリ
「それは、キレイゴト。です
互いのシアワセなんて
各々が決めるコト
なかなか
シアワセを共有するのは
難しいモノです
片恋がいちばんシアワセだと
想うコトです」
そう
斬られてしまいました
ご自身の経験からか
ご自身にそう諭してこられたのか
定かでは無いですが
それも一理あるな
と
想いました
(恋。に限らずね)
誰かを想ったり
シアワセにしたい
なんて
それは
自身が
確立したモノにのみ
赦されるコト
なのかも
未だ
人生のどの辺りを
歩いてるかさえ
解らぬモノには
次なるステージの
課題なのかな
ただ
懸命に生きる姿
を
気に留めてくれた
誰かの
ヒントにしてくれたり
キッカケになってくれたり
は
アリ。かなと
昨日の会話のように
今朝の開花のように
すべては
人生の中の置き石
腑に落ちたり
課題として抱えていくコトで
道程を
測りながら
歩いていけたのなら
朧げでも
憶測でも
今日は
3月9日
サンキューの日
感謝を伝えられる
日々を
ちゃんと
過ごしているのかな
この前
ドライブの途中に
大きなミモザの木を
見つけた
花粉症のくせに
あまりの美しさに
クルマを停めて
しばらく
立ち尽くし
眺めていた
こんな大きな花束
もらったら
嬉しいだろうな
そのヒトを
抱きしめるように
いとしく
頬ずりするだろうな
なんて
ポォッとしながら
クシャミひとつで
現実へ
引き戻されたけれど
パートナーや
子どもたちと
なかなか
スキンシップをする
機会も
もう無いけれど
ココロを抱きしめる。
そんなキモチで
今日は
ありがとう。
を
しっかり
伝えられたらいいな
こんな慌ただしい季節だけど
こんな慌ただしい季節だから
この本を
読了するまで
山之口貘センセイ
も
夢枕貘センセイ
も
区別がつかないくらい
お名前しか
存じ上げておりませんでしたし
興味ありませんでした
大変
失礼なお話ですが
やはり
女性は
どちらかというと
太宰治
や
中原中也
を
好むイキモノ
なのです
育ちはいいのに
恋に翻弄され
生きるコトを
憂うような
(現実的には連れ添いたくないですが)
山之口貘センセイは
大変逞しい
いや
図太い生き様の方だと
お見受けしました
きっと
男性が憧れる男性像
ですね
いまは
男性が
空元気ならぬ
空堅気を通さないでいい
時代になったと
かの
佐藤愛子センセイも
おっしゃっていました
かと云って
女々しいとは
想われたくナイ
男性方は
山之口貘センセイの詩を
ウンウンと
頷いて
暗記するまでに
読み耽るコトでしょう
ただ
センセイの詩
で
ヒトツ
共感したモノが
ございます
それは
「生きる先々」
僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ
僕はいつでも詩が要るのだ
ひもじいときにも詩を書いたし
結婚したかったあのときにも
結婚したいという詩があった
結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た
おもえばこれも詩人の生活だ
ぼくの生きる先々には
詩の要るようなことばっかりで
女房までがそこにいて
すっかり詩の味おぼえたのか
このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして
僕にひとつの詩をねだるのだ
子供が出来たらまたひとつ
子供の出来た詩をひとつ
空っぽな冷蔵庫の中に
寝転んで見上げた天井の染みに
溜息をつく女房の横顔に
そんな現実の中に
後世残る
詩を見出された
山之口貘センセイ
芸術は
現実逃避
や
夢の世界への誘い
と
位置付けている
ワタクシには
あなたは
生々しくて
少しだけ
厄介に想えますが
〜詩を求めるこころは、
バランスを求めるこころ
痒ければ掻きたくなり
いたければさすりたくなるこころ〜
そう記された
エッセイを
読み進めたコトで
何処か
理想の現実男性像と
あなたが重なり
自身でも
驚いております
男ゴコロなんて
これっぽっちも
解らないのですが
それでも
時に
向き合ってみたい
そう想えた日には
また
あなたの詩文を
読んでみようかと
想います
どうぞ
お力をお貸しくださいませ
あなたが
食べたかった夢
あなたが
飲み込まざるを得なかった夢
そんなお話も
いつか
知る機会があれば
幸いです
かしこ
昨日
なにげなく
眺めていた
テレビCMで
「未来は、不安と希望で、出来ている」
そんな
キャッチコピーが
飛び込んできて
ココロを
グッと
掴まれました
近い未来に
いままで
味わったコトのナイ
感動や緊張感が
押し寄せてくるのを
少しだけ杞憂して
相当量ワクワクしている
ワタシには
いま
とても腑に落ちる
コトバでした
先日から
沢山の
知人・友人・お客さまに
「おばあちゃん。になるんですよね?
おめでとうございます」
なんて
温かいコトバやら
安産の御守りやら
ステキなギフトを
頂いております
自身のコトのように
何故か(笑)
お腹をさすりながら(脂肪やし!)
日々
育まれているであろう
ちいさな幸福の芽に
想いを馳せています
今日のフォトは
絵本作家 にしむらかえサン
の
ステキな一冊
「はるにうまれるこども」
と
にしむらかえサンとおじょうさん
の
ユニット
ナノカファーストさん
の
グリーティングカード
絵本の中には
世界を旅した経験を持つ
作者の
きっと印象に残っているであろう
日常風景
や
ワタシたちの日々や人生にも
通じる
いのちのバトン
が
1ページ
また
1ページ
と
継がれています
みんな
誕生や
存在を
祝福されたり
肯定されて
日々を
生きているんですよね
因みに
ワタシは
春生まれのヒトに
恋する傾向にあります
(自身が夏生まれだから
穏やかな季節に憧れるのでしょうね)
・・・余談はさておき(笑)
グリーティングカードも
愛くるしいですよね
パッションフルーツの花
でもある
時計草に
見えますね
チクタクチクタク
愉しい時間を
出来るだけ
過ごしていきたいモノ
です
〜人生の春〜
そんな時代を
沢山
紡げますように
まだまだ
まだまだ
これからも
あなたも
ワタシも
あのヒトも
早いモノで
ネコの
マキハラクンが
誕生して
今日で
1年になりました
同じく
兄妹の
虎丸クン
ハンナちゃん
トラオクン
あ、あと1匹の
名前が
解らないけれど
全員
それぞれの場所で
愛情をたっぷり受けて
この日を迎えられたコトが
とても嬉しいです!
こんなに
あどけなかったけれど
11日間の自分探しの旅に
出たり
キレイなお姉さんに
遭遇すると
お腹を見せて
デレデレしたり
段々
飼い猫っぽい
ココロの
通わせ合いなんかを
実感したりして
日々の元気の源と
なっているのです
家に帰れば
ワンコがいるし
なかなか
息つく間もないけれど
このコたちを
通して
いろんな自身の機微に
気付かせてもらっています
病気をしないよう
家出をしないよう(笑)
ただ
ただ
祈るばかりです
おめでとう
そして
ありがとう
ほんとうに
出逢えて
よかった!!
行ってみて
やはり
あぁ、よかった。
と
想う場所が
いくつかある
今朝も
ネコのマキハラクン。
の
エサやり
に
行く途中
パッと浮かんで
八龍神社へ
立ち寄った
白梅が
咲き誇り
空気が凛としていて
ココロが
スゥッと軽くなる
前回訪れた際にも
お逢いした
御婦人が
今日も
境内の掃除
と
御神体に
聖水を
あげてらした
笑顔のもと
交わされる
会話さえ
此処に来る
目的のヒトツであった
かのように
ココロに沁み入る
「なにもお手伝いせずに
申し訳ありません」
そう恐縮して
頭を下げるワタシに
「お詣りしてくれるだけで
充分よ」
と
おっしゃって下さった
その方も
きっと
この時間を
大切にしてらっしゃる
のだろう
義理とか
形式とか
ではなく
いつも
ココロに在って
ふと
時間が作れたり
想い立ったら
自然と足が向く
そういう場所は
たくさんは
要らないから
いくつか
いつも
ココロで
磨いていたいよね
もう少し
若かりし頃
は
来年のいまごろ。
が
想像出来なかったな
きっと
1年がうんと長くて
出逢いがうんとあって
きっと
うんと笑って泣いて
自身の人生なのに
見当付かずにいたっけ
愛すべきモノが増えて
歳を重ねて
ほんの少しだけ
成長した気になってる
昨今は
来年のいまごろ。
が
想像出来るのが
淋しくも嬉しい
変わらずに
此処に在るであろうモノ
きっと
此処には居ないであろうモノ
新たに現れるモノ
それらに
感謝したり
覚悟を決めるには
1年という月日は
ちょうどいい
もう少し
月日が流れると
今度は
来年のいまごろ。
に
自身が存在するのかを
危惧するように
なるだろう
喪われていくモノ
見送らざるを得ぬモノ
それらが
どんどん増えるコトに
怯え
嘆き哀しむのだろうか
今日観た
美しい一面の菜の花畑
ずっと
行ってみたくて
ひとりで
行ってみた
来年のいまごろ。
は
誰かと眺めているのかな
来年のいまごろ。
には
今よりももっと
笑えていたらいいな
まだまだ
しばらくは
来年のいまごろ。
というフレーズが
愉しい。
の
代名詞と
なるであろう
いま。
を
生きているコト
が
ほんとうに
うれしい
好きなヒト
が
いるヒト
を
好きなキモチ
って
こんなカンジ
かな
うそみたいな
3月の青空を
見上げながら
ボンヤリ
擬似失恋
ムスコに
仕事へ送ってもらう
カノジョの元へ
向かうついで
に
「助手席に乗りなよ〜」
笑いながら云ってくれるけど
滅相も無い!
後部座席に座り
ななめ45°から
盗み見る
ムスコの目が優しい
いまから
大切なヒトに
逢えるんだもんね
BGMが
最新ポップス
から
何故か
気遣いからか
レベッカ
の
フレンズ
へ
まぁ〜
その選曲は
罪だよ
♪
口づけを交わした日は〜
ママの顔さえも見れなかった〜
ハッと我に帰る!
そうそう
ワタシはママ!
そして
バァバ。
に
なるんだ
そういえば
家人の母
つまりは
お姑さんが
おっしゃっていた
〜今でもね
貴女が想うように
ワタシも
ムスコが
可愛くて
心配で
たまらないのよ〜
って
優しくて
懐深い方だから
滅多にそんなコト
おっしゃらずに
いつも
ニコニコ
見守ってくださるから
不意に云われて
ハッとしたっけ
そうか
ずっと
可愛くて
たまらなくて
いいんだ
たとえ
ムスコが
ダンナさん。
に
なろうが
パパ。
に
なろうが
そうかそうか
世の中の男のヒトは
こうして
みんな
お母さんに
可愛くてたまらない。
って
想われているんだね
あのヒト
も
このヒト
も
そんな考えに
行き着いたら
イジイジしたキモチが
何処かへ
飛んで行ったから
擬似失恋
も
たまには
悪く無いね
誰かがいるから
実らない
なんて
理由にならないよね
好き。
は
好きなまま。
で
いいんだよね
あはは