強制。
されるのは
好きじゃないけれど
矯正。
されるのは
キライじゃないです
在るべきカタチ
へ
導いてもらえる機会って
なかなか
自身だけでは
生み出せないから
この度
手に入れた
コチラ
天使の羽根。
と
想いきや
(ワタシの祖先はギリシャ人か⁈)
ジャジャーン!!
外反母趾サポーター
シリコン製で
クッション
かつ
ストレッチ
効果があるそうな
プニプニしていて
キモチイイ〜
外出時には
靴の硬さが
直に触れるのを
和らげてくれそうで
ココロ強いったら
ありゃしない
で・も・ね
わかってる
矯正されるコト
で
全て
解決するワケじゃないってコト
思春期の頃から
の
ムリを積み重ねてきた結末
だから
そろそろ
一度
診てもらわなきゃ
ね
この頃
の
モットー
は
『美しいモノにふれる』
です
『愉しいコトをする』
に
制定すると
どうしても
キョロキョロ
したり
ドッキンドッキン
したりと
カラダに悪いから(笑)
此の前
ラジオで
『辛くても。
は
勿論だけれど
楽しくても。
ストレスはかかるんですって!
何も考えないのが
いちばんの
ノーストレス
だそうですよ。』
と
パーソナリティの方が
おっしゃっていたのが
よく解る
今日この頃です
が
ワタシの場合
何も考えないと
何もかも考えなくなりそうで
不安なので
そうだ
美しい。
を
基準にして
ヒト・モノ・コト
に
ココロ奪われる瞬間を
大切にしようと
想っている
この頃なのです
そう
ココロ掛けると
やはり
自身の味方は自身。
かな
いつのまにやら
目の前で
美しいヒト・モノ・コト
が
差し出されたように
微笑んでくれている
気がします
あとは
簡単
其れら
を
敬い
微笑み返す
すると
取り巻く
セカイも
浄化されたような気がするから
不思議です
愉しいコト。
より
美しいモノ。
の
方が
圧倒的に
探しやすいし
見つけやすいと想う
だって
美しいモノ。
は
ナチュラル。
だから
申し訳なさそうにではなく
何千年も其処に在るような
堂々としたモノだから
美しさ。
は
誰にどう想われるかに
とらわれず
自身が何を想い欲するかに
従うのが
美しさ。
だから
そんなこんなで
此の週末も
沢山の美しいヒト・モノ・コト
に
出逢うコト
が
出来ました
必然だろうが
偶然だろうが
其れら
は
そう
ごく
自然
に
季節
を
教えてくれるモノ
に
一日
の
充足
を
見届けてくれるモノ
に
ココロ
の
機微
に
沿うてくれるモノ
に
共
に
月日
を
重ねられるモノ
に
ヒトリ
では
気付けぬモノ
に
生かされているコト
に
最大限
の
感謝
と
最上級
の
敬意
を
日々
高校生の頃
仲良しのトモダチが
西海模型
(佐世保の有名なプラモデル屋さん)
で
バイトをして
欲しかった靴を
手に入れた様を見て
衝撃を受けた
当時の高校生にしては
高価だなぁ
と
想ったから
その時の靴が
そう
REGALのサドルシューズ
だった
カノジョは
たしか
オレンジ掛かった
ブラウン系のコンビ色
で
お洒落なカノジョ
に
とても
似合っていた
イイなぁ
と
想いつつも
自身のキャラクター
や
イメージ設定
ましてや
靴に重きを置く価値観
が
まだ
備わっていなかったので
ずっと
記憶の中に
留めるに過ぎなかった
この頃
は
メルカリ様々
の
おかげで
欲しかったモノ
を
お手頃価格
で
手に入れるコトができ
ほんとうに
有り難い
世の中には
転売ヤーとか
悪巧みをするヒトが
いるらしいが
ワタシが
繋がるのは
『捨てる神』
ばかりだ
最近
不意に
REGALのサドルシューズ熱が
再燃し
メルカリの旅に出た
やはり
時を越えても
一定のファンがいるんだろうね
なかなか
イイお値段
が
ついているモノ
が
多かった
そんな中
出逢ってしまったのですよ
優しき
『捨てる神』
に!
一度しか履いてないらしい
けれど
とても
良心的価格!
五月
は
税金やら
出費多々
なのに
あぁ無情。
では
片付けたくない
もうヒトリのワタシが囁いた
『いま買わないでどうする⁈』
と
数日後
届いた
サドルシューズ
は
ピカピカ
で
ツヤツヤ
で
もう
同窓会で
初恋のヒトが
相変わらず素敵だった
くらい
(妄想よ)
痺れた
外反母趾
の
アタイには
ちょっと
硬いけれど
そんなコトは
どうでもいいくらい
大大大満足!!
早速
外反母趾サポーターまで
手回ししたから
じっくり
大切に履いていこうと
想っている
ふと
見渡せば
ヒトにせよ
モノにせよ
好き。
の
感覚
や
大切。
に
したい
価値観
は
昔から
変わっていない気がする
目新しさ
に
一瞬
興奮
するけれど
やはり
噛み砕くまでなく
馴染みの味
を
ずずず
と
啜っては
ホッとしているような
多幸感
を
持ち合わせている
熱しやすくて冷めやすいオンナ。
だと
自負していたけれど
忘れっぽいだけで
案外
しつこいオンナ。
なのかもしれない(笑)
ワタシ
に
愛されたモノたちよ
慣れるとぞんざいになるけれど
其れも
愛情表現だと
呆れておくれ
出来るだけ
大切に
添い遂げていくからさ
出来るだけ
相応しいヒトで
在れるよう
努力していくからさ
大好きなドラマ
が
最終回
を
迎えた
ほんとうに
ほんとうに
ココロ洗われる
ひととき
だったなぁ
恋とか愛とか
に
化ける前
こんなふうに
逢えたらうれしいヒト
声が聴けたらうれしいヒト
と
見つめ合うより
も
あっち向いてホイ
を
しているような
日常
が
ただ
ただ
たまらなく
愉しかったっけ
ヒト
は
ヒト
を
欲する時
には
先ずは
憧れ。
から
始まると想う
けれど
ヒト
が
ヒト
と
続いていくため
には
共感。
ありき
だと
想っている
自分たち
に
共通する
違和感。
も
含めて
(此方の方が段々重要になってきたり)
久しぶりに
そんなコトを
考えさせてもらえる
ひととき
でもあった
あんまり
ヒト
を
欲しない
この頃
だけれど
時には
笑い合ってみたいな
時には
伝え合ってみたいな
そして
時には
照れかくし
に
からかい合ってみたいな
別れ際には
『ありがとう』
と
手を振り合ってみたい
なぁ
目醒めると
海の向こうから
手紙届いたよって
LINEが届いていた
LINEで
連絡を取り合えるならば
手紙とか要る⁇
と
突っ込まれそうだけれど
手紙は永遠だ
うんと
時間がかかるけれど
ヒトとヒトには
便利とか
合理的とか
そんなコトバだけじゃ
済まされない
繋ぐモノ。
が
あると想う
もどかしさ
も
じれったさ
も
背中をトントンしてくれるような
深呼吸するような
整うひととき。
なんだと
想えるから
それにしても
ワタシからの
エアメイルは
カノジョからの
それに比べて
うんと時間がかかる
まさかだけど
途中で寄り道しているのかな
なんて
空想してみたり
ディズニーピクサーの映画
みたいに
想いがけない
災難やら
友やらに
バッタリ遭遇したり
擦った揉んだの末
何喰わぬ顔で
カノジョの自宅のポストに
ストンと
落ち着いていたりして
ふふふ
手紙には
奥行きがあるよね
そこに至るまでの背景
そこに至るまでの道すじ
そこに至るまでに積み重ねてきたモノ
そんな物語へ
の
招待状
みたい
今週も
救われている
今のワタシに
必要なのは
『忘我』
の
時間
らしい
⇩
⇩
⇩
あなたは他の人以上に普段から
「自分」という存在を背負っています。
どういうことなのかというと
「私がここにいる理由」
「私がこの家族から生まれた理由」
「私が果たしていかなければいけない責務」
「私が次のステップアップのために
やっていかなければいけないこと」など
そのような
「私」を絶えず意識していくような
戦いがあったりもするのです。
「私が私として、負けられない色々な戦い」
に対し獅子座はやはり
他の人の何倍もその戦いに
身を投じているようなところが
あったりもするのですね
あなたは時々
「私が何者であるかを忘れる」とか
「ただゲラゲラ笑っているのが楽しい」など
そのような
「忘我(ぼうが)の時間」を
持ってみてほしいのです
こんな占いを今まで見たコトが無いよ
しいたけさん・・・
いったい何者なんだろう
しいたけさん・・・
『忘我』
吾を忘れて夢中になる。
うっとりする。
忘我。というコトバは
存じ上げぬが
ワタシが生きがいとする意味合いなんだね
忘我。って
座右の銘は
『生涯現役』
と
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
だけれど
これからは
『忘我』
も
ぜひ
付け加えようと想う
理屈ではなく
ココロの磁力に正直に
手始めに
敬愛する
舟越保武さんの作品集を
眺めている
うっとり
胸締めつけられる作品もあるけれど
(原の城とか二十六聖人像とか)
其れらも含めて
ヒトがヒトとしてあるべき姿を
学ばせてもらえたりする
忘我のひととき
は
他者の存在価値に
敬意をいだく瞬間であり
世界の広さに
気付かせられる機会でもある
ワタシが。
ワタシが。
は
今週は
ひとやすみ
視線奪われるモノに
すっと
引き寄せられてみよう
そう
想う
此の週末には
太陽フレアの影響で
磁気嵐による
低緯度オーロラが
世界各地で
観測されたという
SNSで投稿された
映像を眺めては
一生分
うっとりさせてもらえた
一生に一度は
見てみたいモノのヒトツ
だけれど
ワタシの住む街の空に
其れは映るコトはなかった
でも
此の頃は
美しさを
遠くへ求める暇も無いほど
身近な美しいモノに
ココロ奪われている
卓上
の
花殻を摘んで
残り少なくなっている
クリスマスローズも
そう
生きた証
みたいな
花脈すら
胸打つ
彫刻家の佐藤忠良さん
が
記してらした
『古木の木肌の皺や瘤には
人間のような、ずるさの一つも無い』
そんな
コトバを
重ねてみたり
みな
薄々気付いているけれど
一生に一度でいいから
と
願ったり
噛みしめたりする間もないくらい
希少なのは
今。
目が合うモノすべて
に
微笑みたくなるような
環境
を
日常
を
そして
人生
を
久しぶりに
自分軸の週末を過ごせました
したいコトだけして
見たいモノだけ見て
食べたいモノだけ食べて
行きたい場所だけに行く
それらが
今の
自身の望みであり
真の贅沢な時間なんだと
しみじみ噛みしめています
ワタシはシアワセモノです
忙しい時や
疲れている時は
運命を呪いそうになるけれど
(ちょっと大袈裟ね)
それは
大切なヒトたちが
普段は
それぞれの場所で
目一杯頑張っているコトを
垣間見れる
貴重な瞬間
だったり
過ぎてみれば
たしかに
必要とされていたんだと
気付かせてもらえる
有り難いひととき
なんだなぁと
結局は
どの時間も
愛ありき
なんでしょうね
そんなコトを
考えながら
聴いた
日曜日のお楽しみ
小山薫堂さん目当ての
(耳当て⁈)
ラジオ番組
の
番組内
で
流れてきた
美空ひばりさん
の
が
ズバン
と
ココロに
響き渡りました
ヒトは
すぐに色んなコトに慣れ
不平不満を口にするけれど
本来
何も持たずに生まれてきたのに
いつのまにか大切なモノだらけに
埋め尽くされる
この人生の
なんとすばらしいコトよ
移りゆく空からは
絶えず
光も
雨も
降り注いでいるように
そんな人生には
愛が絶えず降り注いでいるコトを
忘れてはいけませんよね
見えないからって
無いモノに出来ないのが
愛だもの
なんて
愛とか
たまには
口にしないと
ね
鈍ったり
失ったり
消えてしまわないうちに
たまには
ね