考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

文化は分化

2006年10月18日 | 生活
 世界中の偉い人が色々書いていることだろうが、本当のところ、文化とは分化で、排他的なものだと思う。

 茶道なんて今でも典型だと思う。趣向を凝らして数人で場を囲む。道具を揃え、食事を楽しむ。それでまた集う人がどんな人かで場が異なる。時間が過ぎれば、終わってなくなってしまう。それで、そういうのを生活の一部に組み込んで楽しむのが目的だろう。だから、その場にいなかった人たちにストレートに口外されることがない。場を楽しむのが目的だから。で、たぶん、口外する人は、「そういった場にいつもいる人」ではないのだろうな。

 博物館や美術館などの展示物は、そういった場で使用されたものの典型的な遺物だろうと思う。たぶん、生活空間の中に取り込まれていた。そのために作らせた物品も多かっただろう。それで、たぶん、今の時代もそういう人たちがきっといるんだろうな。

 「文化」というと何だかとっても良い響きがあるが、目に見えてこない表情を多く持つものだろうと思う。

 私はあまり文化的でないからこんなことを書くのだろう。(笑)
 終わり。(しかし、あまり考えてない。)


2 コメント

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どうも (ほり(管理人))
2006-10-19 20:36:17
森下礼さん、度々のコメントをありがとうございます。



大分昔から、もう十数年前から思っていることで、マジです。(笑)でも、同音異義が気に入ったばっかりにあまり考えてないのも事実です。(笑)

昨日、検索したら出てこなかったので、まだ書いてなかったんだと思って書きました。



もともと、「オレたちはオレたちでやるから、あんたたちはあんたたちでどうぞ」ってなものだと思うんです。心から納得して理解してないと楽しむことなんてできませんから。



>>文化=分化の状態を保てることが、その集団が独立独歩できる証



そうでしょうね。だから、公教育が基本から地域によってそれぞれやることが違ってきたら、市域の文化は保てるでしょうが、国レベルになるとどうなのかなと疑問に思います。



で、また、こういうのは、生活の一部に組み込まれれば組み込まれるほど飲み食いが入ってくるだろうから、お抱えの料理人がいるおウチ(私は全く知らない・笑)が関与しなかったら、意外にそれなりの評判を持つ街の料理人がそういう世界に近いところにいるのかな、なんて思いました。

「食文化」とはいいますが、食だけが単独で文化として成立するわけないと思います。



まあ、いずれにしろ、「ふむ。これが文化だな」なんて意識する限り文化じゃないんですよ、という実にイヤミな考え方です。(笑)



ああ、私も文化的になりたい。(笑)



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当たっているかも (森下礼)
2006-10-19 15:49:21
恐らくは、ほりさん、ダジャレというような発想なのではないですか?でも当たっているような。

 試しに和英辞典で調べてみると

文化:culure

分化:differentiation,

   specialization

となりますね。分化とは、変異していくこと、専門化すること、となるのでしょう。

 cultureはよく知られているように、「耕作」という意味があり、ひとつの集団は似通った作物を栽培するので他の集団から見ると排他的です。それぞれに分化しています。逆にある集団が他の集団を征服するなどすると、耕作する作物はいわゆる「プランテーション」化、つまり単純化されてしまうでしょう。

 文化=分化の状態を保てることが、その集団が独立独歩できる証なのかも知れませんね。ほりさんの言っている意味とは少少違うかも知れませんが、以上のように考えました。
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