考えるのが好きだった

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「私の脳はなぜ虫が好きか?」から養老孟司の読み方

2005年07月03日 | 養老孟司
 わくわく。わくわく。わくわく。。。。
 というわけで、養老先生の本を買った。まだ全部読んでないけど、面白いから、感想を書きたい。私は虫に全く興味がない。それでも、養老孟司の本は面白い。なぜか?

 最初の話、「あなたにとって、虫とは何か」をみよう。B6版約6ページ76行からなるエッセイで目に付く単語を並べてみる。
 「腹の底」「政治」「数学」「x軸」「y軸」「左右逆転」「全共闘」「意義」「世界」「世間」「偏差値」「正規分布のグラフ」「視点」「現代人」「都市化」「実在」「行動の誘因」「善良な一般市民」「脳の実在感」「神」「国家権力」「文化大革命」・・
 もちろん、「虫」と言う語も41回出てくるが、果たして、上記の単語を羅列を見た人が、この文章が虫についてのエッセイだと思うだろうか?

 養老先生の面白さは視点の取り方である。虫を「だし」にして、養老先生は、人間と人生を自然という観点から語る。この視点の取り方は、どの本でも共通する。だから、養老先生を哲学とか宗教という人がいる。私も否定しない。本人も唯脳論にまとめたことは全部お経に書いてあったと言っている。

 ミリアム・ロスチャイルド女史に「自然史とは何か」を問うて、「生き方である」と言う答えを得て養老先生は明晰な答えだと感嘆する。ミリアムさんも素晴らしいが、感嘆する養老先生も素晴らしい。

 虫取りの旅中プーケットで友人を待つ養老先生は、暇をもてあまして「差異と同一性」について考えたそうだ。何を考えたかまでは述べられてない。(そのための本ではないからだ。)うんうん、具体と抽象だね、と私は思う。

 (気ばかり焦って文章にうまく纏められないのが歯がゆい。)

 私の見方では、養老先生は常に「意味」を問うている。自然や虫は具体で事象で、二つとして同じものはない。そこに、人間が現れ、生き方が語られるとなると、虫は虫のまま既に虫でなくなり、抽象化した概念になり、哲学になって意味が生じる。自然科学はややもすると、事象のみを追う。大概の科学者の本がつまらないのは、事象に終始しているせいである。自分がその事象に興味がない限り接点を見いだすことはできない。その点、養老先生の議論は、虫を象徴として扱っているので抽象化がなされ、その時点で一般化が成立し、接点が生まれる。よって、自分に引き寄せて読むことができるのだ。

 養老先生の著書を理解し面白いと思う人と、そうでない人の違いは明確である。この抽象化、一般化の視点を共有できるかできないかの違いだ。

 私は、人間の能力を大きく「知的作業能力」と「意味探索能力」の2つに分けて考えた方が人間について分かることが増えるように思っている。たとえば、何か一つをテーマとして地道に研究したり実験したりするのは前者で、そこからが見いだされるものをより大きな視点で、つまり抽象化し概念化し、生き方を探るまで探求するのが後者である。
 人間が物理的存在として空間と時間を占め、数十年したらこの世とおさらばするだけなら、他の動物と変わらない。そのうえで「やや」人間らしく生きようとするなら「知的作業能力」を存分に活かして活動していけばいい。しかし、「生き方」や「生きる意味」は別である。
 養老先生の著作にそのものズバリと記してあるわけではないが、全てから共通して立ち上ってくるのは、人間として普遍化できるこの視点ではないかと私は思うのだ。
 

2 コメント

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ようこそ (ほり(管理人))
2011-05-09 23:02:41
eagleiさん、ご訪問&コメントをありがとうございます。

こんな古い記事を探し出してくださって、ふむふむ、そういえば、思い出しました。もう6年も前になるんですねぇ。

養老先生は、本当に面白いですよね。
万物流転が終わって、残念。
養老先生は、本を書いたり連載するより、虫が好きなんだよねぇ。

また、どうぞ。
養老ファン、大歓迎です♪
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はじめまして (eaglei)
2011-05-09 00:07:59
eagleiと申します。
はじめまして。
検索「養老孟司 文化大革命」で飛んできました。
養老先生の著書「本が虫」で、
文化大革命について書かれていて、イタク感銘しています。

>人間として普遍化できるこの視点
僕も養老先生の視点に、いつもハッとさせられています。

また、時々来させて頂きます。
よろしくお願い致します。
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