長野県伊那市に住む兄(70)が「歌の幼稚園」と称した活動をしている。
村のおじいさん、おばあさんを集めて唱歌を歌い親睦を深める集いである。一度行って司会をつとめたところ評判がよくまた来てほしいという。
10月のその会では全15曲のうちぼくが「唱歌と俳句」というパートの5曲の司会を担当することになった。
「里の秋」、「手を叩きましょう」、「時計台の鐘」、「手のひらを太陽に」、「まっかな秋」。
この中で「手のひらを太陽に」の歌詞を読んでみてこれほど俳句の精神を述べている文言はないのではないかと感激した。
「手のひらを太陽に」
やなせたかし作詞・いずみたく作曲
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
はじめ「ぼくら」は人間のことかと思うが、ミミズだってオケラだってアメンボだって生きている友だち、と展開する。
これは人間中心主義ではなく人間とほかの動物の命は並列しているという考え方である。
トンボだってカエルだってミツバチだってもあり、
スズメだってイナゴだってカゲロウだって、というふうに万物の命を人間と同じように尊重し謳歌している。
はじめやなせさんはアメンボでなくナメクジにしようかと思ったそうだ。
ここに登場した動物や虫たちはぜんぶ季語になっている。
季語は、俳句はこの歌詞のように万物を謳歌する詩である。季語を使って人間は万物と同格の立場で交流しようというのが俳句の真髄といえるだろう。
やなせさんが俳句を書いたということは聞いたことがないが彼の精神は俳句そのものである。
アンパンマンにもバイキンマンにも俳句的なマイルドなものを感じるのはこの心根のせいだろう。
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