天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ごろごろできる居心地

2017-01-05 05:49:16 | 身辺雑記


きのう息子一家がきて新年晩餐会となった。
居間で、やや(7歳)と八尋(4歳)を直径1mのボールに乗せてバランスを取らせたり縄跳びをさせて夕食時まで遊ばせた。この子たちの母はドタバタのわきで寝ている。
ときに喧嘩して泣いて女の子のめめしいことうるさいこと。

仕事場から息子が駆けつけてようやく晩餐。
重箱に詰めた煮物、中トロ・蛸・ホタテ貝の刺し身、茶碗蒸し、うどんがメニュー。
するとややが、
「<美代子ばばんち>と<宏江ばばんち>はいごこちが違う」という。
前者は嫁の実家であり後者は息子の実家、ここのことである。
彼女の中で<いごこち>が居心地まで成熟しているかどうか知らぬが、聞くと、ここは「ごろごろできる」居心地であるという。

ややと八尋は年末年始2泊3日ほど<美代子ばばんち>に滞留してきた。ここは我が家と違って孫天国と思っていた。
菓子、ジュース等の間食のたぐいは手のとどくところにふんだんにありフリーに食える天国。
うちへ来てややは「ここは何にも(間食するものが)ないね」とよく嘆く。お年玉も1000円である。<美代子ばばんち>がいくら出そうとも。
けれどどうも我が家へはたびたび来たいようである。
ごろごろできる居心地とはどんなことか。
家の中で駆けっこや縄跳びができる体感的なことのほかにそれをしてはダメという発言が少ないことだろうか。
お絵かきで机の上がクレヨンや墨でべたべたしたりするが怒られない。

自由に発言できる空気ということもあろうか。
ややは男性器にえらく興味があり、ボールの上に寝そべったときふくらむ小生の股間をさしてちんちん、ちんちんと喜ぶ。
「ちんちん欲しい」とか「ちんちんがあるとどういう感じかなあ」という。
「ちんちんなんて厄介だよ、あれば使いたくなるから」というような返答をどう消化しているのか。
彼女がもっと小さいころ風呂に入れたことがあるがもうパパと一緒に入るのもふさわしくなくなっていくだろう。

賢い子だから男性器を指すちんちんは割と自由にいえるのに、女性器を指す隠語は流布しているのに口に出しにくいことにすぐ気づくだろう。そこに男の性、女の性の越えられぬ淵があることにも。ちんちんをめぐる幸福も絶望も光も闇も知るのだろう。
本の好きそうな子だから本を読んでさらに性のことを理解していくことだろう。日本文学の半分は性のこと、男女関係ものである。

娘はただならぬスピードで成長していることを知った老の春。
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