故郷の実家から中央アルプス空木岳をめざして歩いてゆく
きのう故郷伊那市の老舗寒天製造業の小笠原商店を訪ねた。
伊那谷は河岸段丘の地形で、ぼくの生れた富県(とみがた)は段丘の上にひらけた村落である。伊那谷のもっとも低いところを北から南へ流れる天竜川の左岸、数キロ上がったところである。
実家のある富県から4キロほど歩いて段丘を降りてゆくと小笠原商店へ到達する。
実家に自転車はなく(みなクルマに乗る)徒歩で向かった。約1時間。
小笠原商店は天竜川から200mほどの伊那谷の底にある。底といっても狭いと思ってはいけない。広々と広がる水田地帯である。
地図でおよその見当をつけて行ったが目当てが見つからなくて探し回った。寒天という白い多量のものがあるのだから簡単に見つかると踏んでいたが、意に反した。
寒天の白いものが目立たないほどこの地域は広いことに驚いた。長野県歌がうたう肥沃な四つの平のひとつなのだ。
ぼくが18歳まで富県で暮らしたとき、寒天業のことに関心がなかったせいで隣の村の小笠原商店のことを知らないかと恥じたが、そうではなかった。
小笠原商店の創業は大正5年(1916年)と古いがずっと諏訪郡富士見町でやっていて平成13年(2001年)に伊那市東春近に居を移したのだそうだ。
事務所のわきに置いてある大きな釜が目に入る。
社長は小笠原壽房さん。
ぼくを迎えていろいろな質問に答えてくれたのは社長の息子にして専務の義雄さん。
「赤い天草が白い寒天になるのは不思議でしょう」と仕事に対して新鮮な驚きを持ち続けていることに感動した。
専務取締役、小笠原義雄さん。仕事に誇りを持つ面魂。
彼から質問されて緊張した。産地から来る原材料マクサ(天草)の25キログラム入り一袋はいくらか。3万円と答えると笑顔で「いい線ですね」といい3万5000円とのこと。ぼくはこの価格が生産者にとって高いのか安いのか、また寒天業者にとってどうなのか知らないが、あまり大きく外れなくてよかった。
「寒天造る」「天草焚く」「寒天干す」「寒天さらす」など寒天にまつわる季語がある。
ぼくの目当ては寒天の俳句を書くことであった。
けれど一朝一夕にはいかないと思った。
物はあるのだがとりとめがなく言葉になって来ない。
とにかく天竜川のほとりは風の通り道で絶え間なく強い風が吹く。きのうはいつもより温かく気温が10度ほどになったはずだが、風に吹かれ通しだと寒くなってくる。外套の中の生身が寒天同様水分を失って行く感じ。
喉も乾いてくる。
風にどんどん体力を奪われてゆく。
釜の口は2階。天草を1階から引き上げて入れる。
大きな釜に水を入れて沸騰させマクサを入れるのが午後3時20分。それまで意外に近い天竜川を見に行く。
天竜川の風はもっとすさまじく骨身にこたえる。
豊かな水量の天竜川。このあたりは河口から約187km。流れ始める諏訪湖まで約20km
17日が雨という予報で天草を煮ていいのか。外では干してそうとう乾いて白くなった寒天を取り入れる作業をしている。
寒天にまつわる労働はたいへんだ。ぼくが20歳若くてもきついだろうと思った。
小笠原商店ならではの繊細な「糸寒天」。無漂白、無着色、無添加。