氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

あやとり

2005-11-08 09:47:24 | 懐かしい遊び
太い毛糸の要らない糸を母に貰い「あやとり」をして遊んだ。
最初は母に教えて貰ったのだが難しくて中々覚えられない。
母が見本を見せてくれた一人遊びの「あやとり」は手品のようで驚いた。
両手の指にからませた毛糸が指を潜ったり引っ掛けたり魔法の様です。
川になり星になり、橋になり梯子に成った・・・
簡単な基本でも覚えられない。

二人遊びの「あやとり」もどの糸をこの指でと指示して貰わなくては出来ません。
私が取ったら糸は無残にも縺れたり形を現さなかった。
根気が無くて上手に出来ないと止めてしまう。
これから数多く経験した挫折の最初の思い出です。

しかし女の子達はどんなに不器用な子も「あやとり」は上手でした。
今でも不思議に思います。

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2 コメント

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参った (マドレーヌ)
2005-11-09 11:01:28
氣楽亭さんは、お母さまから色んなことを教えていただいたのですね。いいなぁ~。

私も学校で流行りだしましたから、母にねだると、またまた3回ポッキリで(笑)教えてくれました。これは母も本当はあまり出来なかったようでした。「橋」とか「ほうき」とか私がリクエストしてもわからなかっようです。二人綾取りは適当で最後はグチャグチャでしたもの・・・。今、私は息子と時々やります、本を買ってきましたから。

最初に見せたのが「ほうき」。感動してくれました。私自身も、あの憧れの「橋」を本を見ながら出来た時は感動でした。今でも本を見ながらしかできませが。。。
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あやとり (氣楽亭)
2005-11-09 12:16:42
色々と教えて貰ったのに「あやとり」は出来ませんでした。

一人っ子の私はマザコン気味かも?

それに亡くなったから思いでも多く甦るのかもしれません。

介護の手を煩わさず自宅での死でした。

秋の朝起きて来ないので女房が起しに行くと眠るように亡くなっていたのです。

子供孝行な79歳の大往生でした。

私は会社で死に目には会えなかったけれど幸せです。

心筋梗塞の持病が有り夜中になんども起されて救急車を呼んだ事も有りましたが最後は苦しまなかったと思います。

布団が乱れていなくて寝ているようでした。合掌
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