ぶどうの木            

      わたしはその枝

    
         川越の主の園から 

フィリピンを1999年に訪ねた日々

2006-05-22 21:43:36 | フィリピン

小学2年生のフィリピンの少女と出合ったのは多分1994年頃、
日本の子供より、少し小さく見える女の子でした。
それから10年間の文通が始まり、何時も私を「ママ」と慕って
手紙をくれました。私もその女の子から喜びを感じながら手紙を書きました。
そして一昨年、彼女と彼女の家族が自立をし、私との関係は終わりました。

その間私は2度フィリピンを訪ね、その少女と、又2回目に少女ののお母さん
とも会うことだできました。私の10年間の思い出です。

↑マニラ乗換えでミンドロに着いたときです。まるで
地方のローカル線の駅のようでした。でも荷物の検査は厳しかった。

↑私のチャイルド、ブレンダリン

↑パン屋さん、パン焼き技術を学びパン屋さんを始めることによって
村の何人かが一緒に働け、現金収入を得て自立していきます。
私たち1人の援助では何も出来ませんが、こうして1つのNPOの
働きを通して村全体が自立へ向かっていけることを知りました。

↓これは給水センターです。これが出来る前は、水を汲みに行くのは
女性の仕事です。これが出来て飲み水が身近に受けられる
ようになったのです。      良かったですね~

これらの写真は私にとって大事な写真です。
一緒に見てください。