トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

Formulaを止めざるを得ない理由

2010-06-28 17:18:00 | 自転車事情

 webでは既に発表したことなのだが、イタリアのFormulaブレーキの取り扱いを止めた。理由は、新製品の技術情報やこちらからの質問・約束について返事も無く、責任を全うできないと判断したからだ。新製品と旧製品とのパーツの互換性や、注意点などの情報は、命を預かるブレーキなだけに重要だ。これらの情報は商品を安全に利用いただくためにも絶対必要であると再三にわたる催促にもかかわらず、誠意ある対応が無いばかりか、さらに台湾での打合もドタキャンにされた。正直、ビジネスとして魅力はあまりない。でも、この会社のオーナーであり技術者でもある彼の魅力と人柄から続けていたのが実情だ。

 イタリアのFormulaブレーキの社長のMr.Andrea Becocci(アンドレア・ベコッチ)とは、LARM社(かつて、マルゾッキ等の輸出代理店をしていた会社)とのビジネスを通じて15年以上の付き合いだ。元々彼はモーターサイクルの製造も手掛け、かつてはサスペンションで有名なスェーデン製のオーリンズサスペンションの輸入代理店をしていたこともある。
 彼のモノ作りの才覚は半端でない。そして自転車業界には馴染みの薄かった油圧ディスクという製品を普及させた功績は大きい。特にヨーロッパの市場では、あのニコラス・ブイヨス(彼は何回世界チャンピョンになったのだろう?)や女子のショソン(彼女もWCUP優勝の常連だ)が使用して事で良く知られている。彼の設計するブレーキは、世界一軽くて世界一コントロールし易い。多くのレースの結果がそれを証明している。レースだけでなく、この手のEU市場では彼のブレーキはトップなのだ。
 彼の工場は、トスカーナの州都であるフィレンツェの隣町のプラトーにある。この街もどちらかと言えば、ちょっと見たところでは古いイタリアの田舎街にすぎないのだが、どいう訳かボローニャを含めたこの近辺にはモーターサイクル絡みの企業が少なからず有る。(ドカッティ・ベルリッキ・マルゾッキ・少し離れてアドリア海に面したリミニには、ビモータ等)それぞれの地域は、観光で行くには最高の地域らしいのだが、残念ながら観光らしい観光はほとんどしたことがない。

 以前、ベコッチ夫妻と以前の担当者のジャンカルロ(彼はクライマー=アルピニストでもある)と夕食をともにした時、1時間くらい車で走りその昔は教会だったというレストランテに連れて行ってもらったことがある。すばらしいワインと一緒にすばらしい一時を過ごした。実は、その古都が有名なシエナというのは日本に帰ってから気がついたのだが、会話の中で彼のまじめさやパッションについて今まで以上に感動した記憶がある。実際にいままで、人の良い彼は、アイデアを横取りされたりした事も少なくない。僕の知る限りA社のとあるブレーキは彼の設計だった。実際に初期ロットはイタリアの彼の工場で生産されていた。1年後だか数年後、突然台湾製になった。約束が違うと問題になったようだが、その後の結果については僕は知らない。いずれにしても、彼は体よく利用されたりして、この手の苦労重ねてきた人だ。そして、先に述べたように世界選手権やワールドカップでも数々の優勝が、ヨーロッパの中でかっこたる基盤を築いたのだ。

 私達は、競争が激しい日本の中で、この素晴らしい製品を売る難しさに白旗をあげた訳ではない。不誠実な現在の担当者がこのような判断を強いたというのが事実だ。残念ながら日本の市場はとても小さい。担当者からすれば、とても相手にすることが面倒なのかもしれない。しかし、何度も言うようにブレーキという人の命に関わる製品においては、販売の多少等は関係なく技術情報を提供しなければならないと考える。たぶんベコッチ社長は意見を同じくすると信じている。が、少し組織が大きくなりすぎてしまったようだ。再三催促を促しても返事をもらえなければ、私達自身の責任も全うできないのは明らかである。そして止む無くこのような結論に至ったとい訳だ。

トップのベコッチ氏(彼は英語を理解しない。イタリア語とフランス語しか理解しないので、何らかの齟齬があるやもしれない。)に対しては、表現しがたい気持ちでいっぱいだ。世間一般的には、遺憾という言葉が使われるかもしれないが、無責任な政治家がつかう言葉なので使いたくない。ただただ、すごく残念でならない。



試乗会のついでに!?

2010-06-28 11:56:00 | 泳ぐ・乗る・走る
土曜日は彩湖で試乗会とアドマーニ往復のプチサイクリング。

もったいないので、彩湖に少し早めに出向く。
試乗会の前に、RUNの練習をするという魂胆。
新しく舗装された道を使ってビルドアップ走。今年からTRデビューした50才の新人くんと走る。
「最初は、こんなにゆっくりなのは、ワザとぉ??」
と新人くん
「そうだよぉ~!」

実は、ゆっくり走るのは以外と難しいのだ。6.8kmのコースをつかって、キロ8分ちかくから始まって、キロ5分台まで少しずつスピードアップ。
新人くんは、千切れていました(笑)

試乗会は、沢山の方々来て盛況でした。カラミータの現物を乗ってみたい。触ってみたいとのお客様が来場してなによりです。すくなくとも1周回れば5km弱は乗れるので、モノの良し悪しがわかる。

細かなところで妥協しているパーツはあるけれど、フレーム自体はかなり価格以上のパフォーマンスがあると自負しているので、試乗した皆さんの満足そうな顔を見ると、単純にウレシイ!

そして、試乗会のあとに、昼食を目指して恒例のアドマーニへ。
最近バイク雑誌でよく紹介されるので15名もの人数でテラス席を確保出来るかどうか心配だったけれど、運よく確保することができた。

2種類のピザと3種類のパスタ。そして何種類かのフォカッチャを食い満足しながら、榎本牧場にジェラートを食べに行く。

常連のじさんが、上江橋付近から徐々にスピードを上げてくれるので、練習にはいい感じになってきた。大久保浄水場からは、トーマスのじさんと600キロの男、そしてもう1名しかいない。時速40km/h近いスピードで巡航している。コバンザメのようについてゆくのが精一杯。

秋が瀬公園も猛スピードで通過し、秋が瀬橋のしたでようやくスピードが緩む。

撤収してから、さいたま市桜区記念総合体育館で1000メートル泳いでおしまい。

新人おやぢも、最後まで練習に付き合ってくれて、ありがとう。
充実した一日でした。

ラン 6.8km
バイク 75km
スイム 1km
最大心拍数183・・・・こんなにあげたの久々


台湾・・・

2010-06-23 07:41:00 | 自転車事情
 世界中のさまざまなブランドのスポーツ自転車のほとんどが、なんらかの形で台湾の自転車の技術が関係しているのは、最近だんだん知られてきた。

 かつて自転車が日本の輸出産業として華やかだった頃、低品質の安物自転車と言えば「台湾製」だった。しかし現在では、世間巷一般では「台湾製」は良品の代名詞で、その不名誉な看板は「中国製」にとってかわられた。

 いまや業界人の中で、この台湾メーカーがあの有名ブランドのあの商品を造っているらしい(OEM生産という)ということは常識的に知られている。

ジャイアントでさえ、約30%はいまだにOEMの仕事。しかもジャイアントの工場が造るブランドとなるとそれなりに知られた名前だ。

 有力台湾企業の多くが、中国のシンセンや上海に工場を持ち商品の生産を行っている。中国市場進出とOEMや部品生産の拠点としての役割を担いつつあるが、昨今の海岸地区人件費の高騰を考えると、後者の意味合いでは微妙な立場になりつつあると言える。
 
 台湾の基幹産業のひとつである自転車。この成長には多くの日本人技術者や経営者の果たした役割は大きい。台湾人の経営者の多くが日本人の先人達への感謝を口にする。同じ日本人として誇らしい。が、その歴史は、台湾の国の歴史同様あまり知られていない。多くの日本人は、中国人と台湾人の区別がつかないかもしれないが、それは「中国製」と「台湾製」違い以上であることを、遅まきながら最近気がつきはじめた。少なからず、1895年から1945年の50年間の歴史を知る義務が日本人にはあると思うし、その時代が、今の自転車業界に限らず、多くの台湾産業に少なからず影響を与えているような気がする。