とは、言ってもスタート前は凄く緊張。
苦手なスイムの練習も、ほとんどしていないのだから当たり前なんだけれど・・・・
試泳した土曜日の荒れた海とは違い凪いでいた。
が、スタート後のバトルは過去最悪だった。
体調も、金曜日の夜jにエアコンと付けっぱなしだったせいで、元々風邪気味だった体調を悪化させたようだ。さらに悪い事には、バトルの中で今まで経験したことがないほど深く沈められ、もがいた拍子に左足の脹脛が攣ってしまった。 その瞬間DNFの三文字が脳裏を横切った。
激痛に立ち止りたいが、足もつかない場所なのでどうすることもできない。周りを見渡しても、ツワモノのスイマーばかりで近くにはライフセーバーは居なかった。足は動かさず、我慢しながらクロールを続けるしかない。気持ちが萎えた。
でも不思議なことに海中を観察する余裕もできた。遅いけれど、少しずつ進んでいることが海中の景色から理解できた。透明度が高いと気持ちが落ち着く。
50分以内に泳がなければならない1700m地点の海中は、サンゴが素晴らしかった。スイムが終わったらリタイヤしようか・・・・なんてことを考えながら、僕にとって長く辛いスイムは1時間13分ほどで終わった。左脹脛の痛みは、浜をゆっくり歩くことを強要して、のんびりしたトランジッションになった。周りに知り合いがいないか?見渡すも誰もいない。トランジットエリアに残された自転車も少なくなっていた。リタイヤするか?どうしようか悩んだが天気もいいし、サイクリングしなけりゃもったいない。そう思いリタイアはバイクフィニッシュの後でもできると思いバイクスタートした。
今日は風も強くないし最高のコンディションだから、本当ならば好きなバイクパートで、ジャンジャン追い抜くところなのだが、そんな気持ちになれすノンビリ走ることに決めた。それでも他のアスリートを抜かせるので数を数え始めたが、27台抜いたところで、ワケが解らなくなってやめた。
そういえば、宮古初体験仲間で3km泳いだ経験のない”口先♂”はスイムアップしたのだろうか?心配になった。彼の自転車はトランジットにはまだ残されていた・・・・
気持ちよく、バイクに乗りながらハイビスカスの花がけっこう咲いているなぁ等々あまり戦闘的な気持ちにもなれずに景色を楽しんだ。
バイクで池間島から戻るときに、60歳超の仲間のゼネコンおやぢにすれ違った。凄い!宮古島に来る前に震災被害の甚大だった南三陸町の歌津中学校の避難所で二週間もボランティアをして、ロクに練習していないのにそのハンデを感じさせない。その前もトレーニングらしいトレーニングはしていないはずだ。
そのパッションはどこから来るのか?旨い酒を飲みたい一心でそのエネルギーが湧いているのだろうか? 彼はボランティアしてきた避難所の歌津中学校の校長が書いたTシャツを着て走ると言っていた。
さらに5月には、再び南三陸町に戻るという。こんな人がトラ仲間の一人であることをとても誇りに思う。
宮古島TRは応援が嬉しい。子供たち、小学生・中学生皆一生懸命サポートをしてくれる。エイドでも、どこでもだ。東平安名崎の灯台守?のオネーさんに今年は時間が無くて挨拶ができなかったが、名前をを呼んで応援してくれた。一年ぶりなのに覚えていてくれるのが、ウレシイ。今頃の東平安名崎には、ユリが一面に咲いているのだけれど、その白いユリを彷彿させる色白の美人だ。
サトウキビジュースをここで売っている勝っちゃん(おかわりをいつもサービスしてくれる)の姿が残念ながら無かった。
さすがに5回目の出場になると次のコーナーの角度や傾斜は大方見込みがたつので、苦労せずに先行車をパスできる。そして上りでまた抜かされるの繰り返しだ。来間島大橋からは、信じられないようなエメラルドグリーンというかブルーというか綺麗な海が見える。もちろん海底も見える。島から戻る途中には左手に東急リゾート・前浜のスイムコースを見える。この当たりでバイクの走行距離が約100㎞になる。トレーニング不足のボクにとっては、辛くなる距離。
腰が痛い。左足脹脛の痙攣を忘れるほどだ。しかも、風も向かい風になってきた。
でも、楽しみは別にみつけた。素敵な♀アスリートの皆さんが僕を抜いてゆく、そのほとんどは前半戦でボクが抜かした♀アスリート達だ。ボクを抜かし返したステキな彼女たちのバックシルエットは、♂の本能的な記憶力で本人の意思とは関係なくインプットされているらしく、彼女はアソコら辺で抜かしたとか妙に覚えている自分が可笑しい。自分で、自分のことを”おやぢアスリート”の真骨頂ではないかと・・・・分析している自分がまた可笑しい。
相当チンタラした、走りでサイクリングを楽しんだ。
今年のボトルの形状はなかなか優れているので、積めるだけ積んでおくことにする。
熱帯植物園への曲がり角からは、左足の脹脛の様子をみながらのんびり走ることにする。
バイクが終了したのがおおよそ午後2時くらいだった。トランジションエリアに入り、ランの準備をする。スタートして左脹脛のストレスが大きければ、リタイアするつもりだったが、なんとかなりそうだ。 ペダルを踏んだことが痛みを緩和させたようだ。
ランスタート直後、放送で”口先♂”がバイクパートを終了して戻ってきたことを伝えていた。エイドでオニギリをほおばり、十分すぎるほど補給をする。いつも、ランスタートからしばらくは足が動かない。5~10kmの我慢が必要だ。それを過ぎるとトランス状態になるのだが・・・宮古支庁のそばの消防署迄は、ボロボロ抜かれる。信じられないくらい沢山だ。バイクで抜かした素敵なバックシルエットにも、また抜かされている。この区間は歩いていた二人しか抜かせなかった。さらに、ちょうど消防署あたりで”口先♂”が、軽そうな足取りでボクを抜いて行った。でも、焦らなかった。彼の練習量とスタミナを知る自分は、途中で彼がダメになる確信があったからだ(笑)
それに、今日は制限時間一杯楽しむことに決めたことだし・・・・
便意を催し、宮古島温泉のところでトイレを借りる。まだ調子は出ないが、思ったより左脹脛のダメージは少ないようだ。見慣れたキャップが見えてきた。予想通り、膝に来ているようだ。しばらく後ろについて様子を観察する。このあたりになるとスタートの時と同じように走っているつもりなのに、抜かされる数よりも抜かす数が多くなる。しかも、素敵なナイスバックシルエットの彼女達の横顔をチラリと盗み見ることができる。これは、本人の意思であるようである意味確信犯だ。期待通りか?そうでないか?ランの楽しみは多い。
ちなみに有酸素運動中は、脳味噌はマトモに動かない。いつもは簡単にできる計算が僕には出来なくなる。そうなると脳味噌の中身は本能しか残らないのだ。いつもは、人間の理性によって抑えられているパションが浸み出してくるのだ。
まもなくして”口先♂”に追いついた。彼は諸般の事情で、ボランティアMVPのゼネコンおやぢに勝たなければいけない事情がある。時間的には完走できるはずだが、21.0975kmのハーフを超えないと、何があるかわからない。できれば、午後5時までにハーフの折り返し地点迄たどり着きたいところだ。午後五時に折り返し地点ならば、21.0975kmを3時間半で走れば良い計算になるが、宮古島のランコースが、アップダウンが多いので注意が必要だ。そんなレクチャーをしながら、一緒に歩いたり走ったりしていた。
・・・・つづく