トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

トスカーナに里帰りした彼女が帰ってきた

2011-05-07 13:18:00 | Italia & Bike
カノジョが帰国した。
さっそく、奥武蔵グリーンラインの新緑を目出にむかう

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七ヶ浜トライアスロンの場所・・・・

2011-05-03 21:02:00 | 泳ぐ・乗る・走る
毎年7月に開催される仙台郊外の七ヶ浜トライアスロン。
泳げるようになってから毎年出場している。たぶん5回。
それに、二十代前半を仙台で過ごした私にとって、この地区は特別な場所だ。
さらに妻の実家や、義弟夫婦もこの近くに住んでいるので訪れる事も多い。
今回の東日本大震災によって、このエリア地震と津波で甚大な被害を受けた。
トライアスロンをやって、地元の人達の温かい声援をうれしく思ったのも
この大会だ最初だ。

僕がそこに行っても、何も役に立たないのはわかってはいるのだが、
自分自身が現場を確かめたい気持ちと、少なくともトライアスロン大会に参加した人達は
僕と同じような気持ちであろうという勝手な解釈で、ニョーボの実家のお見舞いついでに
立ち寄った。

バイク折り返し地点の花淵浜漁港界隈の街並みは、まったく変わっていて家が無くなっていた。
バイクコースを戻るように車をすすめると途中の外人浜といわれるサーフポイントは、
40フィートコンテナが、いくつか浜に転がっていた。
仙台新港のコンテナターミナルから、津波の引き潮で流されてきたものらしい。
衝撃的なのは、菖蒲田浜だ。ここは根こそぎ家が無くなっていた。
バイクコースで唯一平坦な道が長く続く場所だ。民宿等が立ち並んでいた街並みが無くなっていた。
ここら辺でトライアスロンを応援してくれた皆さんは無事だったのだろうか・・・・

ゴール&トランジットエリアの松が浜付近は元々人家は少ないが、公園の街灯はへし曲り、
浜へつながる歩道は、津波で破壊されていた。

ランコース漁港は、まだそのままの状態だ。地震の影響で地盤の陥没も激しく、
堤防の上には打ち上げられた漁船が放置されていた。

もしかしたら、7月にはトライアスロンができるかもしれない・・・・
なんて甘い期待は木端微塵に打ち砕かれた。
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もし、とんでもない状況だったらと出かける前に埼玉にいた時は、考えるたびに
涙がでそうになったが、現実に目の前にその光景が広がると、
悲しいというよりも
「この状況を解決するには、僕には何ができるんだろう????」
と思い、じぶんの無力に天を仰ぐばかりで涙もでず溜息がでるばかりだ。
そうそう、空を見たら、不思議なことに太陽の周りに虹が丸く出来ていた。
吉兆であればいいのだけれど

その2

2011-05-01 06:32:00 | 泳ぐ・乗る・走る
 今までは、過去の自分の記録を超えることに関心があったが、今回は少し違った。
でも、正直途中までは、脹脛の痙攣もあったり、あまりにも練習不足だったので、走っていても快感が無かった。リタイアしたいと思ったくらいだ。
 でも応援してくれる仲間、リタイアした時の惨めさを思うとできなかった。
 そして、別の楽しみも発見した。小学生低学年かもしくは幼稚園生が渡してくれたスポンジは、水分がほとんどなくて、かつ生温かかった。一瞬、その小僧の顔を見たが、あまりにもまじめに応援している眼で、
「ガンバッテクダサイ・・・・」
なんて言われると、僕は何も言えず・・・・うんうんと・・・
逆にその役に立っていないスポンジが妙に嬉しくて、
心臓がキュンとするほど子供たちの気持ちを
感じ取ることができたような気がして・・・

 こんな楽しみもあるんだと5回目にして気が付いた。過去子供たちが一生懸命手伝っているのを見てそれなりに感動していたけれど、その渇き気味の生暖かいスポンジは今までにない感情をボクに記憶させてくれた。

 それからは、ハイタッチを期待する子供達に躊躇なくハイタッチをして(正確にはロータッチか?)その嬉しそうな顔に自分も悦んでいた。




 制限時間内に戻ればいいやという気持ちは、スポーツマン精神にはふさわしくないかもしれないが、ある意味目を△にして競技をするよりも、宮古島でのお祭りを楽しむに相応しいような気もする。

 上り坂は、歩いた。残りの距離と時間を計算しながら・・・・まるでオリエンテーリングのようだった。

 ゆっくり走ると(歩くと?)周りが良く見える。すれ違う数々の有名選手。牛の鳴き声、見たことのある応援してくれる人。名前も読んでくれる。落語家の円太郎師匠にも応援してもらった。

”口先♂”は相当膝にきているみたいで、形容しがたい悲鳴を時々あげながらジョグしていた。ここで頑張ってもらわないと、会社で立替えている旅費が不良債権化してしまう恐れがあるので、なんとしても頑張ってもらわなければならない(笑)

ようやく、平良の街はずれにたどりく。暗くなり始めた。街の中では、酒盛りをしながら応援をしてくれている。早くボクもビールを飲みたいと思いながら、歩く。走るのは競技場に入ってからでいいのだ。残っている距離と時間から計算すると絶対間に合うからだ。エイドの人たちとの会話を楽しむ。

提灯のぶら下がっているゴール手前の通りにたどりつく、”口先♂”と一緒にゴールするのは、いろいろな意味で問題がありそうなので、先に行くことにする(笑) 

競技場のゲートをくぐる。両側は凄い人垣だ。何時間かかっても、この瞬間は自分がヒーローみたいだ。経過時間を考えれば照れくさいが、完走が立派な賞賛の証だと割りきることにする。



先にゴールした仲間が出迎えてくれた。 トレーニング不足だと、イマイチつまらないと途中まで思っていたものの、制限時間内を有効に楽しむという割り切りは、ゴールをして振り返ってみると新たな発見が沢山あったような気がする。

でも、過去の自分をもう一度超えたい自分が、来年も出るぞ!と言っているみたいだ。

2011年の記録  総合順位1116 年代別73 スイム1:13:10 バイク6:01:04 ラン6:03:45 合計タイム13時間17分59秒

2011年宮古島までの正月からの練習記録
スイム9300m バイク736.07km ラン319.6175km 少ね~~~~!

2007年 12時間49分46秒
2008年 11時間55分50秒
2009年 11時間53分10秒
2010年 12時間17分31秒

PS 南三陸町に帰るボランティアおやぢも制限時間内に無事完走した。
  僕の体重は、ほとんど減らなかった(ToT)/~~~





宮古島トライアスロンの続き その1

2011-05-01 05:46:00 | 泳ぐ・乗る・走る
とは、言ってもスタート前は凄く緊張。
苦手なスイムの練習も、ほとんどしていないのだから当たり前なんだけれど・・・・

試泳した土曜日の荒れた海とは違い凪いでいた。
が、スタート後のバトルは過去最悪だった。

 体調も、金曜日の夜jにエアコンと付けっぱなしだったせいで、元々風邪気味だった体調を悪化させたようだ。さらに悪い事には、バトルの中で今まで経験したことがないほど深く沈められ、もがいた拍子に左足の脹脛が攣ってしまった。 その瞬間DNFの三文字が脳裏を横切った。

 激痛に立ち止りたいが、足もつかない場所なのでどうすることもできない。周りを見渡しても、ツワモノのスイマーばかりで近くにはライフセーバーは居なかった。足は動かさず、我慢しながらクロールを続けるしかない。気持ちが萎えた。
 でも不思議なことに海中を観察する余裕もできた。遅いけれど、少しずつ進んでいることが海中の景色から理解できた。透明度が高いと気持ちが落ち着く。

 50分以内に泳がなければならない1700m地点の海中は、サンゴが素晴らしかった。スイムが終わったらリタイヤしようか・・・・なんてことを考えながら、僕にとって長く辛いスイムは1時間13分ほどで終わった。左脹脛の痛みは、浜をゆっくり歩くことを強要して、のんびりしたトランジッションになった。周りに知り合いがいないか?見渡すも誰もいない。トランジットエリアに残された自転車も少なくなっていた。リタイヤするか?どうしようか悩んだが天気もいいし、サイクリングしなけりゃもったいない。そう思いリタイアはバイクフィニッシュの後でもできると思いバイクスタートした。

 今日は風も強くないし最高のコンディションだから、本当ならば好きなバイクパートで、ジャンジャン追い抜くところなのだが、そんな気持ちになれすノンビリ走ることに決めた。それでも他のアスリートを抜かせるので数を数え始めたが、27台抜いたところで、ワケが解らなくなってやめた。

 そういえば、宮古初体験仲間で3km泳いだ経験のない”口先♂”はスイムアップしたのだろうか?心配になった。彼の自転車はトランジットにはまだ残されていた・・・・

 気持ちよく、バイクに乗りながらハイビスカスの花がけっこう咲いているなぁ等々あまり戦闘的な気持ちにもなれずに景色を楽しんだ。

 バイクで池間島から戻るときに、60歳超の仲間のゼネコンおやぢにすれ違った。凄い!宮古島に来る前に震災被害の甚大だった南三陸町の歌津中学校の避難所で二週間もボランティアをして、ロクに練習していないのにそのハンデを感じさせない。その前もトレーニングらしいトレーニングはしていないはずだ。
 そのパッションはどこから来るのか?旨い酒を飲みたい一心でそのエネルギーが湧いているのだろうか? 彼はボランティアしてきた避難所の歌津中学校の校長が書いたTシャツを着て走ると言っていた。

さらに5月には、再び南三陸町に戻るという。こんな人がトラ仲間の一人であることをとても誇りに思う。



 宮古島TRは応援が嬉しい。子供たち、小学生・中学生皆一生懸命サポートをしてくれる。エイドでも、どこでもだ。東平安名崎の灯台守?のオネーさんに今年は時間が無くて挨拶ができなかったが、名前をを呼んで応援してくれた。一年ぶりなのに覚えていてくれるのが、ウレシイ。今頃の東平安名崎には、ユリが一面に咲いているのだけれど、その白いユリを彷彿させる色白の美人だ。
 サトウキビジュースをここで売っている勝っちゃん(おかわりをいつもサービスしてくれる)の姿が残念ながら無かった。

 さすがに5回目の出場になると次のコーナーの角度や傾斜は大方見込みがたつので、苦労せずに先行車をパスできる。そして上りでまた抜かされるの繰り返しだ。来間島大橋からは、信じられないようなエメラルドグリーンというかブルーというか綺麗な海が見える。もちろん海底も見える。島から戻る途中には左手に東急リゾート・前浜のスイムコースを見える。この当たりでバイクの走行距離が約100㎞になる。トレーニング不足のボクにとっては、辛くなる距離。
 腰が痛い。左足脹脛の痙攣を忘れるほどだ。しかも、風も向かい風になってきた。

 でも、楽しみは別にみつけた。素敵な♀アスリートの皆さんが僕を抜いてゆく、そのほとんどは前半戦でボクが抜かした♀アスリート達だ。ボクを抜かし返したステキな彼女たちのバックシルエットは、♂の本能的な記憶力で本人の意思とは関係なくインプットされているらしく、彼女はアソコら辺で抜かしたとか妙に覚えている自分が可笑しい。自分で、自分のことを”おやぢアスリート”の真骨頂ではないかと・・・・分析している自分がまた可笑しい。

 相当チンタラした、走りでサイクリングを楽しんだ。
 今年のボトルの形状はなかなか優れているので、積めるだけ積んでおくことにする。
 熱帯植物園への曲がり角からは、左足の脹脛の様子をみながらのんびり走ることにする。


 バイクが終了したのがおおよそ午後2時くらいだった。トランジションエリアに入り、ランの準備をする。スタートして左脹脛のストレスが大きければ、リタイアするつもりだったが、なんとかなりそうだ。 ペダルを踏んだことが痛みを緩和させたようだ。

 ランスタート直後、放送で”口先♂”がバイクパートを終了して戻ってきたことを伝えていた。エイドでオニギリをほおばり、十分すぎるほど補給をする。いつも、ランスタートからしばらくは足が動かない。5~10kmの我慢が必要だ。それを過ぎるとトランス状態になるのだが・・・宮古支庁のそばの消防署迄は、ボロボロ抜かれる。信じられないくらい沢山だ。バイクで抜かした素敵なバックシルエットにも、また抜かされている。この区間は歩いていた二人しか抜かせなかった。さらに、ちょうど消防署あたりで”口先♂”が、軽そうな足取りでボクを抜いて行った。でも、焦らなかった。彼の練習量とスタミナを知る自分は、途中で彼がダメになる確信があったからだ(笑)
 それに、今日は制限時間一杯楽しむことに決めたことだし・・・・

 便意を催し、宮古島温泉のところでトイレを借りる。まだ調子は出ないが、思ったより左脹脛のダメージは少ないようだ。見慣れたキャップが見えてきた。予想通り、膝に来ているようだ。しばらく後ろについて様子を観察する。このあたりになるとスタートの時と同じように走っているつもりなのに、抜かされる数よりも抜かす数が多くなる。しかも、素敵なナイスバックシルエットの彼女達の横顔をチラリと盗み見ることができる。これは、本人の意思であるようである意味確信犯だ。期待通りか?そうでないか?ランの楽しみは多い。
 ちなみに有酸素運動中は、脳味噌はマトモに動かない。いつもは簡単にできる計算が僕には出来なくなる。そうなると脳味噌の中身は本能しか残らないのだ。いつもは、人間の理性によって抑えられているパションが浸み出してくるのだ。

 まもなくして”口先♂”に追いついた。彼は諸般の事情で、ボランティアMVPのゼネコンおやぢに勝たなければいけない事情がある。時間的には完走できるはずだが、21.0975kmのハーフを超えないと、何があるかわからない。できれば、午後5時までにハーフの折り返し地点迄たどり着きたいところだ。午後五時に折り返し地点ならば、21.0975kmを3時間半で走れば良い計算になるが、宮古島のランコースが、アップダウンが多いので注意が必要だ。そんなレクチャーをしながら、一緒に歩いたり走ったりしていた。

・・・・つづく