人生は森のなかの一日 詩:長田 弘
画:グスタフ・クリムト
何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。
次の日、きみがやってきて、
そばに、もう一本の木を植えた。
木がニ本。木は林になった。
三日目、わたしたちは、
さらに、もう一本の木を植えた。
木が三本。林は森になった。
森の木が大きくなると、
大きくなったのは、
沈黙だった。
沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。
森のなかでは、
すべてがことばだ。
ことばでないものはなかった。
冷気も、湿気も、
きのこも、泥も、落ち葉も、
蟻も、ぜんぶ、森のことばだ。
ゴジュウカラも、アトリも、
ツッツツー、トゥイー、
チュッチュビ、チリチリチー
羽の音、鳥の影も。
森の木は石ゴケをあつめ、
降りしきる雨をあつめ、
夜の濃い闇をあつめて、
森全体を、蜜のような
きれいな沈黙でいっぱいにする。
東の空が
わずかに明けると、
大気が静かに透きとおってくる。
朝の光が遠くまでひろがってゆく。
木々の影がしっかりとしてくる。
草のかげの虫。花のにおい。
蜂のブンブン。石の上のトカゲ。
森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。
人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。
やがて、とある日、
黙って森を出てゆくもののように、
わたしたちは逝くだろう。
わたしたちが死んで、わたしたちの森の木が、
天をつくほど、大きくなったら、
大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。
そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。