サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

無重力の日

2005年06月16日 | インドア歳時記
6月16日は「無重力の日」。北海道上砂川町が制定。三井炭鉱が1987年廃坑になり、その跡地利用ということで89年に「無重力科学館セクター」ができた。要は、自由落下部分が490メートル、制動部分をを入れても710メートルのたてあなに、長さ8メートル直径1.8メートルの砲弾型カプセルを落下させるわけです。と、約10秒ほどの無重力(正確には微小重力状態)が現出するわけですね。まあ、宇宙探査ロケットのなか . . . 本文を読む

「スキヤキ・ソング」チャート1位の日

2005年06月15日 | インドア歳時記
6月15日は坂本九の「上を向いて歩こう(スキヤキソング)」が、全米ヒットチャート1位になった日。もちろん、邦楽で一番売れたのはこの曲で、1000万枚といわれている。 九ちゃんは1941年生まれ。プレスリーの憧れて、「日劇ウェスタンカーニバル」で初舞台を踏んだ。 僕の家にテレビが入ったのは、1961年頃と記憶している。はじめての音楽バラエティショーであるNHKの「夢で逢いましょう」と、牛乳石鹸提供 . . . 本文を読む

映倫発足の日

2005年06月14日 | インドア歳時記
6月14日は「映倫(映画倫理規定管理委員会)発足」の日。 日本では戦前が内務省検閲、戦後はGHQ(連合国軍総司令部)による検閲。 そして昭和23年に「日本映画連合会」に自主的な審査会の設置が命じられ、翌年のこの日、映倫が発足した。 映倫に関しては「猥褻裁判」に代表される「表現の自由」をめぐっての、延々とした摘発、裁判闘争の歴史がある。当然、業者側は、「映倫」をぎりぎり通過する表現を工夫し、そのな . . . 本文を読む

「小さな親切運動」が始まった日

2005年06月13日 | インドア歳時記
6月13日は「小さな親切運動スタートの日」。1963年(昭和38年)、当時東大総長であった茅誠司の言葉がスローガンとなり、本部が発足された。いまでは、全国運動となっており、老若男女の「誰も反対できない」正義として、大手を振るっている。 「小さな親切」は、普段からそのことを意識にかけ、機会があれば、実践しなさいと、宗教のような道徳をとく。本来的な「善」があるとすれば、親鸞ではないが「計らい」からは . . . 本文を読む

恋人の日

2005年06月12日 | インドア歳時記
6月12日は「恋人の日」。ブラジル発祥だが、縁結びの聖アントニウスの命日のイブにあたる。 恋人たちは、お互いの写真を額縁に入れ、花を添えて交換するという。いいですね。 外国では、家でも職場でも、家族や恋人の写真を額縁に入れ、机や壁に飾りますね。 日本では、こっそり持つのが習慣でした。 まあ、今では、のべつまくなし写真交換。「見て!見て!」てなもので、ありがたみが薄れました。 . . . 本文を読む

国立第一銀行創設の日

2005年06月11日 | インドア歳時記
6月11日は日本で始めての近代銀行である「国立第一銀行」創設の日。1873年(明治6年)、創設者は、日本に法人資本主義を定着させた渋沢栄一翁。 「国立第一銀行」は後に民営化され「第一銀行」になり、「勧業銀行」との合併で「第一勧業銀行」に、そして富士銀行、日本興業銀行との3行合併により「みずほ銀行」となった。 今年のGWに久しぶりに王子の「渋沢記念館」を訪れた。渋沢家こそ、日本の基幹産業、民俗学を . . . 本文を読む

時の日

2005年06月10日 | インドア歳時記
6月10日は「時の日」。1920年(大正9年)東京天文台と生活改善同盟会によって、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善、合理化を図る」として、制定された。近代化の一環の嫌なスローガンだが、一般人が時計を持ち歩くという文化はこの頃からなんでしょうね。 なぜ、この日かと言うと、日本ではじめて時計が紹介されたのは671年天智天皇が「漏刻(水時計)」を紹介したことによる。「日本書紀」によると、4月 . . . 本文を読む

ネッシーの日

2005年06月09日 | インドア歳時記
6月9日は「ネッシーの日」。1933年(昭和8年)スコットランドのネス湖で、棲みついているという例の「恐竜」の写真が新聞にスクープされた。 そんなに昔だったんだ。 小さい頃、僕らの「世界七不思議」的なワクワク談は、少年誌の巻頭口絵を通じて伝えられた。立ち読みが多かったが、兄貴が時々購入してくる「ボーイズライフ」が最初だったかもしれない。 週刊漫画誌競争に入る前の少年月刊誌時代。豪華付録が十何点 . . . 本文を読む

長明忌

2005年06月08日 | インドア歳時記
6月8日は「長明忌」。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・」という「方丈記」の鴨長明。生涯「みなしご」意識をもっていた長明が、世俗を投げ捨て「方丈の庵」に隠遁したのは54歳のとき。「方丈記」を 刊行したのは58歳の時であった。 僕らの世代もそのときに近づいて、「隠遁」がある種の憧れを持って語られたりするが、自分をとれば、せいぜい地下室を改良して「庵」と称して、引きこもりを . . . 本文を読む

母親大会の日

2005年06月07日 | インドア歳時記
6月7日は「母親大会の日」。 1955年(昭和30年)、豊島会館に2000人のご婦人方が集まり第1回母親大会が実施されたそうだ。政党に引きずられる形で、戦後婦人運動もいくつかの流れがあるが、どちらかというと、「おしゃもじおばさん」的な団体に関心はない。 僕たちの大学時代、同級の女の子たちは男どもがマージャンやパチンコや棒フリにうつつを抜かしている間に、結構、高群逸枝や森崎和江などの読書会をやった . . . 本文を読む