目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

映画「ホリデイ」と幸せの形

2007-11-11 23:55:56 | ★★★
幸せの尺度は人によって違う。

価値観というのは感じる人の相対的なものであって、

他人や以前の自分などとの対比などによって変動していくものだ。

幸せもそういった価値観の一つであり、

人によって幸せを感じる瞬間やタイミング、

「幸せ」という状態の定義さえ違う。

つまり、Aさんにとってはたまらない幸福ではなくて、
単なる日常もしくはそれ以下のものであっても、
Bさんにとっては素晴らしい幸福であったりするわけだ。


しかし、誰にでも訪れる「大切な人との別れ」という
ファクターに対しては人はたいてい悲しみにうちひしがれる。


この悲しみを感じるときの心的ストレスは
一種の絶望感となり幸せとは縁遠い場所に
自分が来てしまったかのような感覚となる。


悲しみを癒す方法は人それぞれではあるが、
この映画「ホリデイ」では全く違う場所に住み、
社会階層も価値観も違う、女性二人が、
同じタイミングで別れを経験する。

どのような形であれ、別れは悲しみを呼び起こすし、
ふと一人になりたくなったりもするものだ。


というわけで二人はネット上で偶然知り合い、
お互いの家を交換することを持ち掛けあう。
欧米ではホームエクスチェンジという
名前で呼ばれているらしい。
家の売り買いを割と頻繁に行う欧米らしい文化であり、
一カ所に定住もしくは「実家=ふるさと」を持つ
日本人には理解しがたい文化かもしれない。

期間は二週間。

お互い、住んでいた場所を遠く離れ、
一人になることで最初は淋しさを感じていたが
徐々に悲しみは新しい出会いによって癒されていく。

ここで言う「新しい出会い」というのが
色恋沙汰に限らないのがこの映画の救いだ。

もちろん、色恋沙汰がメインではあるにせよ
近所に住む素敵な老人との出会いのエピソードは
なかなかユーモラスで含蓄に富んでいる。

この映画では「スクール・オブ・ロック」の
ジャック・ブラックがなかなかにいい味を出している。

彼は映画音楽を手掛ける作曲家という
役回りで登場するが、彼の立ち位置は
非常に見ていて心地よい。

最近はなんでもかんでも「感動」や
「イケメンと美女のラブロマンス」に傾きがちだが、
この映画で主人公たちが頭を悩ませることは
ひどく世俗的でどうしようもない。

だが、そういったこじれた人間関係こそが
現実世界では当たり前のように展開されるし、
そういう内容を臆せず描くのは今の時代、
勇気が必要かもしれない。

キャメロン・ディアスの役回りは
なかなかに浮世離れしてはいるが、
(なにしろやたらと金持ちだ)
彼女のような女性でも色恋沙汰では
うまくいかないんだよ、というところは、
なかなか見所がある。
(まあ最後は予想通りの展開なのでやや残念ではあるが)
この映画でも相変わらずのコメディエンヌぶりを
発揮してくれるが彼女以外は割と普通の人が多い。
ケイト・ウィンスレットもジュード・ロウも
ジャック・ブラックも割と普通の人を演じていて
一人一人悩みをプライベートな抱えていて時たま苦悩する。

二人の物語を通じて幸せの価値観が違う様を感じた。

何しろハリウッド映画の番宣作りで財を成したという
設定の「成功者=勝ち組」キャメロンにとっての
華やかな日常は、普通の編集者で男に弄ばれ続けた
「割と負け組」のケイトにとっては非現実的な世界だ。
そんな暮らしだけでなく、そこで出会う人々との
幅広い交流から幸せを見出だしていく。

一方のケイトの質素な生活を味わうことになる
キャメロンが不幸かと言えばそういうわけではなく、
成功者であるキャメロンにとって
唯一欠けていたものが満たされることにより
キャメロンもまた幸せの意味を知ることになる。

私の友人が話していたことから引用する。

「「幸せになりたい」だなんて人々は言うけど
幸せというのは刻一刻と変化していく人の心情の
「状態」の類型であるから「幸せという状態」が
永続することはなく、幸せという言葉は一瞬一瞬の
状態を言い表す言葉でしかない。
だから、結婚したらずっと幸せだとか、
金持ちになったらずっと幸せだとか、
そういう考え方ではキリがないし意味がない。」


ちょっと細部は違うかもしれないが、
こういうことを友人に言われたときに
なるほどと納得した。
私も今ではこの意見には賛成だ。


たしかにこの彼の説は納得出来る。
幸せという地点は人生のゴールにはなりえない。

映画作品やテレビドラマはラストシーンを
迎えたところで作品としての物語世界は終了し、
その後のことは観客の想像に委ねられる。


幸せな状態で物語世界が終わるわけだから、
それが永続するかのような錯覚に陥るが現実には、
幸せな状態でずっといられり、というのは無理がある。
人間、生きていれば病気にもなるし事故にもあうし、
人を傷つけたり傷つけられたりするものだ。

結婚したから、運命の人(?)と結ばれたから、
お金持ちになったから、だから幸せ、ということはなく、
「どういう風に、誰と」人生を生きるかが
幸せという状態に、より巡り会うためには
大切なのかもしれない。

そういったことをこの映画では感じた。


人生でふと幸せの類型を考えられるなら
二週間くらい旅に出たいものだ。


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