目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

ロストケア ★★★★

2024-09-01 20:38:30 | ★★★★
ロストケア
Amazonプライムで鑑賞。長澤まさみと松山ケンイチの共演となかなか豪華なのだが、映画の立て付けとしては派手さは無く、松山ケンイチは訪問介護士、長澤まさみは検事を演じる。

結論から言えば、非常に考えさせられる映画でした。原作は2013年に書かれて賞を受賞しているミステリ小説。よく読んでいたブログの作者、罪山罰太郎さんがHNを別のもの、葉真中顕に変えて書かれた小説ということを知り鑑賞後に驚きました。

認知症は非常に辛い病気です。何か予防する方法があるわけでもなく、進行を多少遅らせることが出来ても完全な治療法もありません。
そうしたやるせない状況に置かれた人たちを間近で見ていた介護士が犯す罪を誰がどのように罰するのか?というお話でした。劇中、松山ケンイチが演じる介護士は誰にでも優しく、高齢者にもその家族にも献身的です。細かいことにも気がつく、素晴らしい人格者に見えていたわけですが、そんな人格者が実は42人もの高齢者を密かに殺していることがわかり…という。
現実にも起こり得そうなお話なわけです。この小説が書かれたのは2013年ですが、そこから10年経ち、日本の高齢者は年を追うごとに増え、逆に出生率は低下し、今後もこの流れが止まることはなさそうです。人口減少がもたらす、経済へのインパクトは大きく、今後地方の過疎化、そして、地域によっては無人化も進むと思われます。原作では東京都内が舞台でしたが、映画の舞台は長野県になったことにより、田舎の閉塞感はよりわかりやすく描かれていました。
この映画は冒頭から、なかなかにしんどいところを余すところなく描き出します。認知症になった人と一緒に暮らすことがどれくらい大変なのか、現実を直視しなくてはならないことがどれだけ大変か。実は手のかかり方は子育てに近いところがありますが、子育てには子供の成長という楽しみがあります。一方で、認知症患者の自宅介護には家族も本人も消耗していく絶望感しかありません。時間の経過は認知症を悪化させるだけで、どんどんこれまでのことを忘れていきます。徘徊したり、帰宅できなくなるのは序の口で、いずれ排泄も自分で出来なくなり、寝たきりになり、食事も自分では困難になります。なまじ、身体は大人なので、声も大きく、力があるうちは叩かれたりすることもあります。親への愛情がいくらあったとしても、それは親だからですが、親が自分のことを忘れてしまう現実は容赦の無いものです。
この映画はそんな認知症患者の自宅介護の経験者でなければリアルに実感できない辛い現実を短い時間で丁寧に積み上げていきます。
一方で対比として、初期の認知症になり掛けている検事の母親も施設に入った状態で出てきます。認知症の症状は人により進行はまちまちですが、施設などに入ると割と短い時間で認知症が進むような話はよく見聞きはします。(科学的な因果関係は無いのでは?とも思うけど)
劇中、徐々に症状が進行するわけですが、これもまたいかに家族や本人にとって辛いことか、ということを検事は後半に向けて経験を通じて実感を得ていきます。松山ケンイチ演じる介護士がたどった自宅介護の道筋を道程は違えど体感していくわけです。
本人も忘れたいわけではないんですよね。でも、だんだん忘れてしまう。
介護士の父親は柄本明さんが演じていますが、認知症となってしまった寝たきり老人の演技の解像度があまりに高すぎて胸が苦しくなり、直視できないほどです。


ここからはネタバレします。


 
こうして追い詰められた家族を救うという名目で介護士は多くの高齢者を殺害していきます。しかも、それが見つかることなく、次々と殺害されたことが後でわかります。他殺だと扱われなかったことから、ほぼ、完全犯罪といえますが、ある事件からそれが明るみになります。
介護士は罪を最初こそ認めなかったものの、割と早い段階でその罪を認めます。また、彼のその動機と彼の最初の殺人に迫る中で彼の父親が認知症になった話が語られます。父親を自宅介護する中で、仕事が続けられなくなり、生活保護を申請するも、却下され、誰からも救われずに、ついには父親本人の願いにより、彼を手にかけることを決心せざるを得なくなります。
この話は創作、そして映画ですから、柄本明演じる父親はギリギリのところで記憶があって、「自分を殺してくれ」と懇願します。ここが、本当に泣きポイントなんですが、実際には殆どのケースで、こんな美しい話にはなりません。認知症介護経験者なら同意していただけるかと思います。認知症になると、そもそもそのことを認識しなくなり、記憶も時たま蘇るものの、徐々に、でもどんどん忘れていきます。寝たきりになる頃にはもはや、記憶が映画で描かれたように微かに残っていて殺してくれと懇願するなんてことは無いことが多いのでは?と思います。

さて、この映画を観ている最中、私はどうしても自分の祖母のことを思い出さざるを得ませんでした。私の祖母が亡くなったのはかれこれ、もう15-6年ほど前にもなります。
それよりもずーっと前、私は8歳の頃に母を亡くしたために、父の実家に身を寄せ、祖父母と同居し、そして、高校卒業までずっと認知症の祖母のヤングケアラーでもありました。
大正生まれの祖父が主に祖母の面倒を見ていましたが自宅介護というのは想像を絶する世界でした。
現実を知るからこそ、この映画の解像度の高さには慄き、そういう意味では戦慄の映画だと感じざるを得ませんでした。
自宅介護に追い詰められていく人たちがいて…そして、その家族が亡くなることが救いになる人も、たぶん、中にはいるのでしょう。不謹慎ですみません。が、それはあり得ることだと思っています。
劇中、そんな家族も描かれます。

一方で、映画終盤、裁判の傍聴席から飛んできた「人殺し!父ちゃんを返せ!」と叫んだ人のように、自分の大切な人を奪われた、と受け止める人もいるのでしょう。

私は過去の経験から、自分が認知症にかかってしまったら家族に迷惑かけたくないし、スイスででも、安楽死をさせてほしいとすら思っていますが、そんな話を友人や、家族ともしていたところでこの映画を観てもやもやしたのでした。

認知症の介護は初期はそこまで辛くないんですよね。問題はだらだら、ずーっと続くこと、治らないこと、症状が悪化していくこと、未来が無いこと、いつ終わるか誰にもわからないこと、です。
ですが、初めて介護を経験する人は最初はそれがわからないんですよね。だから、家族だし、自宅でなんとかしようとする。長年連れ添った家族だからこそ、施設に入れるなんて考えられない。恥も外聞もある。
なんなら施設に入れるお金が無いケースの方が多いかもしれない。
これから、高齢者がより一層増えていく中で、施設のキャパシティもどこまで増やせるのか、そこで働く介護士の数は確保できるのか、など、より大きなスケールでも悩ましい課題は尽きません。

先進国では人は長生きできるようになり、晩婚化も進み、社会は豊かになりましたが、認知症になっても死なずに済むようになりました。

一方で、認知症になってしまった場合、その人本人の人生の尊厳はどうやって守られるのか?どうなることが幸せなのか?ということは大変に難しい未解決のテーマとして横たわったままのように思うのです。
家族による介護は最適解ではない、と私は思います。可能ならば、施設に入るのが幸せなんでしょうか。それもまたわかりません。結局は人による、家族による、ということなんでしょう。

私はこの映画が投げかけている問題提起は誰しもが避けて通れない道になっていくのでは?と感じている次第です。いつか、脳の解明が進み、認知症を寛解できるような医療技術が開発されることを願ってやみません。


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