この間もちょっと書きましたが、ドロップアウトします。
ぼくは「この場所」に留まっていることはできないし、「この道」をこのまま進んでいくこともできない。他の地点に向かって歩いていきたい。と言っても、「逃げ道」は一応残しておくのが情けないところですが。
なぜ「この道」を進んでいきたくないのか。それには理由があり過ぎて一々列挙するのも憚られる。でも重要な理由が一つあって、それだけは書いておこうかな。つまり、「共に歩んでいきたい人がいない」ということ。いや、実はこれ、いま気が付いた理由なんです。でもたぶん重要な理由。自分が孤独で寂しいとか、周りを皆ライバル視しているとか、そういうことではないです。誤解されそうな表現ですが、あえて詳しい説明はしません。たぶんする必要もないでしょうね。ただ、十数年前のことを思い返していたら、ふと気が付いたのでした。
何度か書いているような気がしますが、ぼくは元々研究者になりたいと思ったことはなくて、実を言えばこの道を行くことすらぼくにとっては逃避行なのでした。自分の夢とか希望とかから逃げて、逃げ続けて、たまたまこの道を歩いていた。そしていまその逃避からさえ逃げ出そうとしている。逃走に逃走を重ねて、いわゆる「ここではないどこか」を探し求めてる。
いや、そうではなくて、他人から見ればこれは単なる逃走に過ぎないのかもしれないけれど、でも本当はこれは原点回帰ということなのかもしれない。
もはやこれが逃走なのか夢への疾走なのか判然としません。確かにある意味でこれは「逃走」であり、ある意味で「試し」でもあります。でもぼくにとっては、どっちだって同じことなんですよね。恐らく多くの人たちにとっては正反対のことなんでしょうけれども。
逃げるにしろ、立ち向かうにしろ、ぼくにとって重要なのは方向の問題じゃあない。再び誤解されそうな表現を用いるなら、「雫や聖司と共にいられるか」ということ。
逃亡者と呼ばれて後ろ指を指されようが、馬鹿な奴だと蔑まれようが、ぼくの進む道の名前は、ぼくが名付ける。
ぼくは「この場所」に留まっていることはできないし、「この道」をこのまま進んでいくこともできない。他の地点に向かって歩いていきたい。と言っても、「逃げ道」は一応残しておくのが情けないところですが。
なぜ「この道」を進んでいきたくないのか。それには理由があり過ぎて一々列挙するのも憚られる。でも重要な理由が一つあって、それだけは書いておこうかな。つまり、「共に歩んでいきたい人がいない」ということ。いや、実はこれ、いま気が付いた理由なんです。でもたぶん重要な理由。自分が孤独で寂しいとか、周りを皆ライバル視しているとか、そういうことではないです。誤解されそうな表現ですが、あえて詳しい説明はしません。たぶんする必要もないでしょうね。ただ、十数年前のことを思い返していたら、ふと気が付いたのでした。
何度か書いているような気がしますが、ぼくは元々研究者になりたいと思ったことはなくて、実を言えばこの道を行くことすらぼくにとっては逃避行なのでした。自分の夢とか希望とかから逃げて、逃げ続けて、たまたまこの道を歩いていた。そしていまその逃避からさえ逃げ出そうとしている。逃走に逃走を重ねて、いわゆる「ここではないどこか」を探し求めてる。
いや、そうではなくて、他人から見ればこれは単なる逃走に過ぎないのかもしれないけれど、でも本当はこれは原点回帰ということなのかもしれない。
もはやこれが逃走なのか夢への疾走なのか判然としません。確かにある意味でこれは「逃走」であり、ある意味で「試し」でもあります。でもぼくにとっては、どっちだって同じことなんですよね。恐らく多くの人たちにとっては正反対のことなんでしょうけれども。
逃げるにしろ、立ち向かうにしろ、ぼくにとって重要なのは方向の問題じゃあない。再び誤解されそうな表現を用いるなら、「雫や聖司と共にいられるか」ということ。
逃亡者と呼ばれて後ろ指を指されようが、馬鹿な奴だと蔑まれようが、ぼくの進む道の名前は、ぼくが名付ける。