Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

プロコフィエフ短編集

2011-11-11 22:37:40 | 文学
本題に入る前に。

amazarashiが評価されない。なぜだろうと思う。YouTubeの公式映像にはかなり批判的な視聴者が多い。例えばけいおんの映画版の楽曲に否定的意見が多いのは、いわゆるアンチが多いからだろうと推測できますが、amazarashiの場合はよく分からない。これまでは、誰かが勝手に歌をアップして、それを耳の早い数少ないリスナーが見つけて聴くというパターンであり、そしてその結果は概ねよい評価だったと思われますが、今回初めて所属事務所が大々的にアップした途端、否定的な評価が増えた。

ぼくは、秋田ひろむ氏の歌は素晴らしいと思う。でも、ひょっとすると多くの人はそう思わないのかもしれない。確かに声や歌い方には特徴がある。ぼくにはそれがとても心地いいのだけれども、そう感じない人の方が多いのだろうか。歌詞もまた、反感を買うことがこれからもっと増えてゆくのだろうか。ぼくは秋田氏の歌を聴いていると、懸命に生きようとする人間の力強い姿が見えてくるし、その切実で篤実な歌い方や歌詞に胸が熱くなるのだけども。

評価されないということは、苦しい。ぼくにとっては最高のバンドなのに、「世間」は評価してくれない。こんなに夢中になって、こんなに熱心に聴いて、こんなに胸を打たれた音楽はぼくにとっては初めてだったのだけど、たくさんの人が「こんなもの」と言う。ぼくは、自分の感性が標準から大きくずれているとは思っていない。むしろ、標準すぎると思っているくらい。それなのに、ぼくが「いい」と思ったものが、他の人たちからは「だめ」と否定される。悲しい。悔しい。間違ってる、と激しく思う。なぜこのバンドの素晴らしさが理解されないの?ぼくは、ぼく自身が理解されなかったみたいに、悄然とする。

ドストエフスキーだって、誰からも評価されたわけじゃない。それは承知しています。でも、「ぼくはぼくが理解されないこと」に、何か精神的な吐き気を催すのです。

ああ、『プロコフィエフ短編集』の感想を書くつもりだったのに。結局、本題は最後に少しだけ。
「紫外線の気まぐれ」という作品が一番おもしろかったです。アメリカの石油王とエジプトの王との時空を超えた対話で物語は進みますが、語学ができない者にとっては笑える箇所が随所にあり、個人的にツボでした。

収録作はいずれも傑作ではないのですが、まあまあいける感じ。ちなみにプロコフィエフというのは「あのプロコフィエフ」本人でして、作曲の傍ら小説も書いていたんです。ちなみに日本にも来たことがあって、その「日本渡航記」が本書に収録されています。日本がけっこう下に見られているところに時代を感じます。


そういえば(話は元に戻ります)、ぼくが本当に好きなものは、昔からメジャーで大ヒットするような類の作品ではなかった。『耳をすませば』、新海誠、amazarashi・・・。そして今ふとあることに気が付く。これらと匹敵するほどに好きだと言える小説とは出会っていないかもしれない、と。