Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

千年幸福論

2011-11-15 23:22:27 | 音楽
地下鉄にへばり付いたガム踏んづけてもう何もかも嫌になった。ああもう全部止めだ。ここにしがみ付いてる価値はない。そもそも前から気に食わなかった。イライラすんのは割にあわない。辛酸舐める日々の逆境。夢が重荷になってりゃ世話ねぇ。

長い間このブログを読んで下さる方がいるとしたら、ああまた言ってやがるな、と思うでしょうか。でもこれはぼくの言葉ではありません。秋田ひろむ氏の「逃避行」という歌の歌詞です。こうして見るとよく分かるように、ここで歌われているのはぼくだ。

amazarashiの1stフルアルバム『千年幸福論』、届きました。本当は一日早いんですけどね。で、すげえ。特にこの「逃避行」、いやこれって本当に、ぼくのことじゃないか。もっと言うなら、「夜の歌」と「逃避行」の二連発が半端ないですね。

「希望は唯一つで 諦める訳は捨てるほど ぬかるんだ道に立ち尽くし 行こうか戻ろうか悩んで
結局歩き続けて その向こうで光が射して その時僕らは思うだろう 「今まで生きていて良かった」
その一瞬の 為だったんだ 今まで積み上げたガラクタ 多くの時間 多くの挫折 数えきれない程の涙」

「夜の歌」で歌われているこの希望のために、ぼくらは皆人生を走り続けている。でも本当にそんな希望なんてあるのか?いつの間にかその「希望」とやらにがんじがらめにされて、「夢」とやらが重荷になっているんじゃないのか?行くか、戻るか。amazarashiのテーマだし、ぼくのテーマでもある。ところが「逃避行」ではこう歌われる。「死に場所を探す逃避行が その実 生きる場所に変わった/そんな僕らの長い旅の先はまだまだ遠いみたいだ」。

逃げて、逃げて、逃げて、逃げまくって、どうだおれは死んでやるんだと嘯いて、でもいつしかその逃避行を生きていることに気が付いて。「僕の場合は逃げ出したいから なのに今も戦っているよ/それでいいだろ」。それでいいだろ?逃げたっていいじゃねえか、それでぼくらが遠くまで行けるんなら。どこまで逃げられるのか、見せてやるよ。


秋田さんの小説「しらふ」が封入されていて、読んだのですが、秋田さん大丈夫かなあ、と途中で思ってしまった。けっこう症状出ちゃってますよ。いや、上手いとか下手とか、そういう価値基準をぼくをこの小説に当てはめるつもりは最初からなくて、とにかくストレートに感情が吐露されていることを期待していたのですが、まさに期待通りと言うか、いやいやこれは期待以上だろ、って感じで、で、秋田さん大丈夫かなあ、と感じてしまったわけです。すいません、なんのことだか分からないですよね。やっぱりこんなにも鬱屈とした気持ちを抱え込んで生きているんですよね。だからこそこういう詩が書けるし、こういうふうに歌えるんです。あなたの苦悩はよく分かる、なんて軽々に言いたくは絶対にないけれども、ぼくも、苦しんでいます。それでいいですか?それで、伝わりますか?

最後の「未来づくり」、歌詞もさることながら、曲が本当にいいですね。というか、歌詞と曲とが完全にマッチしていて、まるで暗い海の底にあったものが明るい方へと徐々に徐々に浮上してゆく過程が見えるようです。それはこのアルバム全体の構成にも言えることですが。

待ち合わせができない人

2011-11-15 00:33:21 | Weblog
読まなければいけない本が何冊もあるのですが、とにかく面倒で読もうとすらしてない・・・ということばかり書いていると読む方もうんざりですよね、だから今日くらいは別の話。

携帯を持っていない中学生の時のお話。
ぼくら3人は映画を見に行こうということになって、近所の駅で待ち合わせをすることにしました。ぼくはけっこう几帳面な性格なので、時間よりもわりと早く到着しました。しばらく友達を待っていましたが、なかなか彼らはやって来ません。なんとなく不安になったぼくは、そのままその場所を後にしてしまいました(で、どこへ行ってしまったんだ?)。

翌日聞いた話では、友達の一人はなぜか駅近くの書店で立ち読みをしながらぼくらを待っていたようです。だから当然、ぼくらがお互いに気が付くことはなかったんですね。で、時間になったから慌てて待ち合わせ場所に駆け付けたけれども、ぼくは既にどこかへ行ってしまっていていない(だからどこへ行ってしまったんだ?)。

結局、待ち合わせ場所に3人が揃うことはなく、映画は観に行けませんでした。
・・・という、待ち合わせができない人の話でした。

ちなみに、ぼくは今でも待ち合わせがちょっと苦手だったりします。が、携帯があるので、何とか無難にこなしています。