Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

これでも必死に生きている

2011-11-12 23:54:10 | Weblog
あああああ。

雪よ降れ、白鳥を背景に塗り込めるほど。ぼくと白鳥との区別がなくなるほど。

久々に「夏影」やそれに類する歌を聴いていました。いいね。

今日は大学で大々的に文学のシンポジウムが開催されていたのですが、ぼくは参加しませんでした。つい先日までは出かける心算でいたのですが、結局そうしなかった。

不活発な学生。あるいは極端に引っ込み思案な学生。それとも単に独りよがりな学生。無気力な学生。怠惰な学生。そんな印象を持たれても仕方ないな。

しかし、ぼくはこれでも必死に生きている。

嫌なことや辛いことがあると、ぼくはすぐに意気消沈してしまう。挫けてしまう。それでもぼくはそれを何とか乗り越えて生きてきた。ときには逃げた。ときには大回りをした。でもどうにかこうにか最終的には前に進んできた。他人から見ればそれは遅々たる歩みかもしれない。怠けているようにさえ見えたかもしれない。でもぼくは必死になって、苦しみながら、嗚咽を漏らしながら、我慢に我慢を重ねて、堪(こら)え切れないものを堪えて、地団太を踏み、泣き叫び、怒鳴り散らし、歯を食い縛って、歩いてきた。

怒りにまかせて家の壁を蹴り壊したこともある。机の下にあるはずの板は、何度も蹴られたせいで既にない。机の表面には鋏で付けた幾つもの切り傷。手首を千枚通しで刺して肉を引きちぎった跡は今も残る。

平生のぼくの態度からすると、そんなことは誰にも想像できないかもしれない。しかし、この家の壁の穴が確かに存在しているように、そしてそれは他人には見ることができないように、ぼくの苦しみも存在し且つ見えない。

ぼくは人には優しい。損得は考えず、なるべく誠意を尽くす。自分という人間の弱さを知っているから、人の弱さを労わってあげたい。だからたぶん、ぼくは強い人間が苦手だと思う。弱さを知らない、あるいは弱さを隠す、力強く進む人間。

あああああ。

でももう嫌だ。疲れてしまった。優しくすることに、ではなく、自分の弱さと共に生きてゆくことに。何もやる気がしない。面倒で堪らない。朝起きるのも、歯を磨くのも、顔を洗うのも、食べるのも、風呂に入るのも、出かけるのも、服を着るのも、脱ぐのも、布団を敷くのも、畳むのも、要するに日常茶飯事が面倒で仕方ない。この忌々しい反復を繰り返しながら、一日一日と歳を取ってゆくのが堪らなく辛い。それに加えて、本を読み、論文を書き、書き直し、また本を読む暮らしは、地獄の責苦にも等しい。

他の人が当たり前にこなしてゆくことが、ぼくにはひどく億劫で、困難だ。この困難を必死に乗り越えながら、ぼくはいつの間にか、これまで切実だった問題に、何の関心も示さなくなっていることに気が付いた。タカキがそうして仕事を辞めたみたいに、ぼくも全てを投げ出したい。そしてまっさらな気持ちで、新しい一歩を踏み出したいと願う。

ぼくはこれでも必死に生きてきた。人から何と思われようと、心は全速力で、力を振り絞って生きてきた。ぼくはもう、やり終えているのではないだろうか?