本題に入る前に。
amazarashiが評価されない。なぜだろうと思う。YouTubeの公式映像にはかなり批判的な視聴者が多い。例えばけいおんの映画版の楽曲に否定的意見が多いのは、いわゆるアンチが多いからだろうと推測できますが、amazarashiの場合はよく分からない。これまでは、誰かが勝手に歌をアップして、それを耳の早い数少ないリスナーが見つけて聴くというパターンであり、そしてその結果は概ねよい評価だったと思われますが、今回初めて所属事務所が大々的にアップした途端、否定的な評価が増えた。
ぼくは、秋田ひろむ氏の歌は素晴らしいと思う。でも、ひょっとすると多くの人はそう思わないのかもしれない。確かに声や歌い方には特徴がある。ぼくにはそれがとても心地いいのだけれども、そう感じない人の方が多いのだろうか。歌詞もまた、反感を買うことがこれからもっと増えてゆくのだろうか。ぼくは秋田氏の歌を聴いていると、懸命に生きようとする人間の力強い姿が見えてくるし、その切実で篤実な歌い方や歌詞に胸が熱くなるのだけども。
評価されないということは、苦しい。ぼくにとっては最高のバンドなのに、「世間」は評価してくれない。こんなに夢中になって、こんなに熱心に聴いて、こんなに胸を打たれた音楽はぼくにとっては初めてだったのだけど、たくさんの人が「こんなもの」と言う。ぼくは、自分の感性が標準から大きくずれているとは思っていない。むしろ、標準すぎると思っているくらい。それなのに、ぼくが「いい」と思ったものが、他の人たちからは「だめ」と否定される。悲しい。悔しい。間違ってる、と激しく思う。なぜこのバンドの素晴らしさが理解されないの?ぼくは、ぼく自身が理解されなかったみたいに、悄然とする。
ドストエフスキーだって、誰からも評価されたわけじゃない。それは承知しています。でも、「ぼくはぼくが理解されないこと」に、何か精神的な吐き気を催すのです。
ああ、『プロコフィエフ短編集』の感想を書くつもりだったのに。結局、本題は最後に少しだけ。
「紫外線の気まぐれ」という作品が一番おもしろかったです。アメリカの石油王とエジプトの王との時空を超えた対話で物語は進みますが、語学ができない者にとっては笑える箇所が随所にあり、個人的にツボでした。
収録作はいずれも傑作ではないのですが、まあまあいける感じ。ちなみにプロコフィエフというのは「あのプロコフィエフ」本人でして、作曲の傍ら小説も書いていたんです。ちなみに日本にも来たことがあって、その「日本渡航記」が本書に収録されています。日本がけっこう下に見られているところに時代を感じます。
そういえば(話は元に戻ります)、ぼくが本当に好きなものは、昔からメジャーで大ヒットするような類の作品ではなかった。『耳をすませば』、新海誠、amazarashi・・・。そして今ふとあることに気が付く。これらと匹敵するほどに好きだと言える小説とは出会っていないかもしれない、と。
amazarashiが評価されない。なぜだろうと思う。YouTubeの公式映像にはかなり批判的な視聴者が多い。例えばけいおんの映画版の楽曲に否定的意見が多いのは、いわゆるアンチが多いからだろうと推測できますが、amazarashiの場合はよく分からない。これまでは、誰かが勝手に歌をアップして、それを耳の早い数少ないリスナーが見つけて聴くというパターンであり、そしてその結果は概ねよい評価だったと思われますが、今回初めて所属事務所が大々的にアップした途端、否定的な評価が増えた。
ぼくは、秋田ひろむ氏の歌は素晴らしいと思う。でも、ひょっとすると多くの人はそう思わないのかもしれない。確かに声や歌い方には特徴がある。ぼくにはそれがとても心地いいのだけれども、そう感じない人の方が多いのだろうか。歌詞もまた、反感を買うことがこれからもっと増えてゆくのだろうか。ぼくは秋田氏の歌を聴いていると、懸命に生きようとする人間の力強い姿が見えてくるし、その切実で篤実な歌い方や歌詞に胸が熱くなるのだけども。
評価されないということは、苦しい。ぼくにとっては最高のバンドなのに、「世間」は評価してくれない。こんなに夢中になって、こんなに熱心に聴いて、こんなに胸を打たれた音楽はぼくにとっては初めてだったのだけど、たくさんの人が「こんなもの」と言う。ぼくは、自分の感性が標準から大きくずれているとは思っていない。むしろ、標準すぎると思っているくらい。それなのに、ぼくが「いい」と思ったものが、他の人たちからは「だめ」と否定される。悲しい。悔しい。間違ってる、と激しく思う。なぜこのバンドの素晴らしさが理解されないの?ぼくは、ぼく自身が理解されなかったみたいに、悄然とする。
ドストエフスキーだって、誰からも評価されたわけじゃない。それは承知しています。でも、「ぼくはぼくが理解されないこと」に、何か精神的な吐き気を催すのです。
ああ、『プロコフィエフ短編集』の感想を書くつもりだったのに。結局、本題は最後に少しだけ。
「紫外線の気まぐれ」という作品が一番おもしろかったです。アメリカの石油王とエジプトの王との時空を超えた対話で物語は進みますが、語学ができない者にとっては笑える箇所が随所にあり、個人的にツボでした。
収録作はいずれも傑作ではないのですが、まあまあいける感じ。ちなみにプロコフィエフというのは「あのプロコフィエフ」本人でして、作曲の傍ら小説も書いていたんです。ちなみに日本にも来たことがあって、その「日本渡航記」が本書に収録されています。日本がけっこう下に見られているところに時代を感じます。
そういえば(話は元に戻ります)、ぼくが本当に好きなものは、昔からメジャーで大ヒットするような類の作品ではなかった。『耳をすませば』、新海誠、amazarashi・・・。そして今ふとあることに気が付く。これらと匹敵するほどに好きだと言える小説とは出会っていないかもしれない、と。
貴方は小説家を夢想する。そして、それが幻影の様に儚いものだと感じている。しかし、貴方は既に貴方の文学をここに紡いでいる。貴方の語る言葉は生きて躍動し、天翔り、宇宙へと伝播し、世界と交感しながら多数の響きを内包させ僕の元へと届く。僕はそういう力をもった文体に文学を求めたい。美しい(僕はあえてこの言葉でもって形容したい。)精神に美しい言葉が宿っている。ああ、それは言霊。霊的な神秘の力。
貴方が憧憬し共鳴するamazarashi。僕の中で「amazarashi」という存在はもはや彼等の占有物でなく、そこに彼等の足跡だけを見出さない。彼等の歌詞や映像に貴方の文学を発見し、音に貴方の調律する世界を観ずる。
蛇足。…、windowを二つだし、amazarashiを聴きながら(←ここは重要です。amazarashiを鑑賞すると熱に浮かされたようになる。)書き込もうと思ったらやっぱり変になってしまいました。実は、丑三つ頃に一度投稿しようと思って書いていたのですがどうも堅苦しくなんだか候文みたいに「~であります」を多用していて、うまく思いが伝えられないとおもい、同時に含羞の念も生起し消去しました。これも迷ってます。ただ、ここにメッセージを残したいと衝動的に思っただけですので、一定期間後消去するつもりです。(どうも気持が萎えていて、精神が不安定なのがこういう蛇足文を書かせるのでしょう。)
追記。『クリスマス』もまた美しい曲ですね。(『古いSF映画』は以前言った感じです。)
ここには理知では測れない、感性的な煌めきがあると思うから。ラーシェル君の美辞麗句を連ねる一種独特な文体は、真っ直ぐに投げかけられると読む側としては確かに気恥かしくもあるんだけども、でもそれだけに、真っ直ぐなだけに、素直にうれしいと感じるので、いつもありがたいことだと思っています。
で、今日はどうもありがとう。何かあったらメールください。