Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

黄昏の時代にフィクションを読む少女

2011-11-06 15:42:07 | 音楽
「古いSF映画」ですが、これ、すばらしい。多層的で多義的な映像と歌詞による圧倒的な迫力の世界。それでいてメロディは優しく荘厳で、歌声は祈りにも似ている。何やら古代の叙事詩の吟唱を聴いているような気持ちにさせられる。

さて、映像の世界観ですが、最初に多層的で多義的と書きましたが、ぼくはこんなふうに解釈しました。まず、世界は大きく4層に分かれている。簡単に言えば、「夏を待っていました」の世界と「クリスマス」の世界と「アノミー」の世界と「古いSF映画」の世界。「アノミー」と「古いSF映画」の世界は繋がっていて、前者は地下シェルター、後者は地上であり、共に何らかのカタストロフィ後の世界。そして「クリスマス」は現実・現代の世界であり、物語=フィクションでそれら「アノミー」と「古いSF映画」の世界のことを知っている。つまり、「アノミー」と「古いSF映画」は一つのフィクションで、「クリスマス」はそれに対応した現実、あるいはそれを客観視した現実。「夏を待っていました」は、テルテル坊主のいる世界で、たぶん時間を超越した世界。

何か大きな事件が起きて地上は荒廃し、生き残った人々は8万平方キロメートルの地下シェルターへ避難。長い年月が経ち、人口の半分はアンドロイドになっている。治安維持もなく、荒んだ世界。地上には青空が広がるが、瓦礫の山がうずたかく積もっている。

そんな昔話を本で読む少女。薄暗い窓外では雪がしんしんと降っている。しかし突然襲来する得体の知れない兵器。フィクションはあくまでフィクションだと思っていたけれども、破滅は現実にも起こりうるのだということを知る。

このとき繋がる「クリスマス」と「アノミー」と「古いSF映画」の世界。どこからか飛来するテルテル坊主は世界の破滅を食い止めようとしているのか。「アノミー」では既にその力を失っているが、「クリスマス」では兵器をも凌ぐほどの力を有している。

「アノミー」で上空から垂れ下がるロープが通じる先は、果たして地上なのか、それとも「クリスマス」の現実世界なのか。

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こんな感じの妄想に属するぼくの空想ですが、当たっているとか外れているとかはもはやどうでもよくて、とにかく豊かな世界観に触発されてしまったのです。

それにしても、これほどの映像をバックにしても色褪せないどころか尚一層その切実さを増す歌詞の深みと豊饒さ、そして歌声の力強さと優しさにはただただ驚嘆するばかり。ときに祈りをあげるように静謐で、ときに荒々しく叫ぶ歌声。amazarashi史上随一の名曲が誕生した。