先日、親戚の原発の専門家の話では、というようなことを書きましたが、そういうことは控えるべきでした。深くお詫びいたします。
不安を煽るようなメールが巷で多く出回っているようだったので、ぼくとしては、大丈夫だよという専門家の話を交えてそういう不安を鎮静化させようという意図だったのですが、しかしどういう理由であれ、他の人たちからすれば出所の怪しい情報を発信してしまったのは、いかにも軽率でした。文学研究においても、出典は必ず明記すべきというのは、卒論レベルの論文でも徹底して指導されることです。ぼくはそれができていなかった。反省しています。
こういう点も含めて、ぼくは浮足立っていた。恐らく多くの方は今もそうなのだと思います。ぼくが言うのもおかしいですが、親戚の誰それの話、出典の明記されていない情報は、信じてはいけない。ネットやメールで曖昧な情報を発信する人は、善意であれ、やはり浮足立っているが故にそうしている場合が多いかもしれません。そういう人は自制心や正しい判断力を欠いている可能性があるので、なおさら信用すべきではない。
また、放射線に関しては、テレビや新聞で情報に接する限り、素人が正しく理解できるレベルを超えているように思われます。放射線の種類、その各々の特性、拡散距離と強度の反比例関係、時間による減衰、などなどが絡まっており、素人が僅かな数学の知識と一般常識をいくら駆使しても、危険の予測や解明はできません。日々新しい情報が出てくる現状において、放射能と放射線の区別もついていなかったような人、あるいはシーベルトという単位を今回初めて聞いた人などは、自己判断は不可能なので、政府と専門家を信頼して、その判断に従うほかありません。出所不明の情報に振り回されてはいけないし、自分で不安を募らせて過剰に心配する必要はないはずです。自分にはどう考えてもコントロールできない事柄なので、むしろデーンと構えている方がいいと思います。パニックにならず、臨機応変に対処するためにも。
もっとも、これですらあくまで素人の考えなので、自分の一番信頼する人の意見を参考にするのがよいと思います。ただその際に注意すべきは、何度も繰り返すように、放射能に関しては、チェーンメールはもちろん、専門家ではない友人・知人の意見も、出典不明の情報も、信頼に足るべきものではないということです。ぼくは専門家ではないので放射線についてはまるで分かりませんが、心構えを説くならば、東京の人たちは過度に不安がらずに、なるべく日常を生きるべきだと思っています。もちろん、節電と備えは万全にして。とにかく不安を煽らないこと。そして煽られないこと。
ふと、百先生ならこの都民のパニックをどうおもしろおかしく描写するかな、ということを考えました。あるいは漱石ならどう冷静に論評するかな、と。あるいはチェーホフなら。いま危機的状況にあるのは東京ではありません。東北地方です。そこへ想像力を巡らし、その上で、ぼくらは自分のやるべきことをただ淡々とこなしてゆくべきです。
最後に。東北にお住まいの方々は、もう限界だと聞き及んでいます。でも、どうか暴動は起こさないでください、と祈るような気持ちでおります。喧嘩しないでください。争わないでください。こんなことを言える立場ではないですけれども、飢餓の苦しみを知らないお前が何を、とお思いかもしれませんけれども、でも、どうか、東北人の粘り強さで、この艱難辛苦を耐え忍ぶ心の強さで、ぼくらを驚かせてください。いま、日本は海外からも注目を浴びています。日本人の、東北人の辛抱強さと冷静さで、世界をあっと言わせてしまいましょう。そうしたら、どんなに胸のすく思いがすることでしょう。東北は日本の誇りだと、世界の誇りだと、誰もが思うに違いありません。でも何よりも、自分たちのために、無茶はしないでほしいのです。ああ、早く東北へ食料を!
不安を煽るようなメールが巷で多く出回っているようだったので、ぼくとしては、大丈夫だよという専門家の話を交えてそういう不安を鎮静化させようという意図だったのですが、しかしどういう理由であれ、他の人たちからすれば出所の怪しい情報を発信してしまったのは、いかにも軽率でした。文学研究においても、出典は必ず明記すべきというのは、卒論レベルの論文でも徹底して指導されることです。ぼくはそれができていなかった。反省しています。
こういう点も含めて、ぼくは浮足立っていた。恐らく多くの方は今もそうなのだと思います。ぼくが言うのもおかしいですが、親戚の誰それの話、出典の明記されていない情報は、信じてはいけない。ネットやメールで曖昧な情報を発信する人は、善意であれ、やはり浮足立っているが故にそうしている場合が多いかもしれません。そういう人は自制心や正しい判断力を欠いている可能性があるので、なおさら信用すべきではない。
また、放射線に関しては、テレビや新聞で情報に接する限り、素人が正しく理解できるレベルを超えているように思われます。放射線の種類、その各々の特性、拡散距離と強度の反比例関係、時間による減衰、などなどが絡まっており、素人が僅かな数学の知識と一般常識をいくら駆使しても、危険の予測や解明はできません。日々新しい情報が出てくる現状において、放射能と放射線の区別もついていなかったような人、あるいはシーベルトという単位を今回初めて聞いた人などは、自己判断は不可能なので、政府と専門家を信頼して、その判断に従うほかありません。出所不明の情報に振り回されてはいけないし、自分で不安を募らせて過剰に心配する必要はないはずです。自分にはどう考えてもコントロールできない事柄なので、むしろデーンと構えている方がいいと思います。パニックにならず、臨機応変に対処するためにも。
もっとも、これですらあくまで素人の考えなので、自分の一番信頼する人の意見を参考にするのがよいと思います。ただその際に注意すべきは、何度も繰り返すように、放射能に関しては、チェーンメールはもちろん、専門家ではない友人・知人の意見も、出典不明の情報も、信頼に足るべきものではないということです。ぼくは専門家ではないので放射線についてはまるで分かりませんが、心構えを説くならば、東京の人たちは過度に不安がらずに、なるべく日常を生きるべきだと思っています。もちろん、節電と備えは万全にして。とにかく不安を煽らないこと。そして煽られないこと。
ふと、百先生ならこの都民のパニックをどうおもしろおかしく描写するかな、ということを考えました。あるいは漱石ならどう冷静に論評するかな、と。あるいはチェーホフなら。いま危機的状況にあるのは東京ではありません。東北地方です。そこへ想像力を巡らし、その上で、ぼくらは自分のやるべきことをただ淡々とこなしてゆくべきです。
最後に。東北にお住まいの方々は、もう限界だと聞き及んでいます。でも、どうか暴動は起こさないでください、と祈るような気持ちでおります。喧嘩しないでください。争わないでください。こんなことを言える立場ではないですけれども、飢餓の苦しみを知らないお前が何を、とお思いかもしれませんけれども、でも、どうか、東北人の粘り強さで、この艱難辛苦を耐え忍ぶ心の強さで、ぼくらを驚かせてください。いま、日本は海外からも注目を浴びています。日本人の、東北人の辛抱強さと冷静さで、世界をあっと言わせてしまいましょう。そうしたら、どんなに胸のすく思いがすることでしょう。東北は日本の誇りだと、世界の誇りだと、誰もが思うに違いありません。でも何よりも、自分たちのために、無茶はしないでほしいのです。ああ、早く東北へ食料を!