Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

デイヴィッド・ベズモーズギス

2011-03-04 23:10:33 | 文学
3月11日、「新海誠スペシャルナイト」があるそうです!
チケットは明日3月5日に池袋シネマサンシャイン限定で発売。ここ限定かよ。ネット販売はないらしいのですが、わざわざ池袋に行って、それで売り切れということもありうるし、しかも明日だし、どうしようかな・・・。う~む、是非スペシャルナイトには行きたいのですが、迷う。サイン会もあるそうだし、秒速の上映もあるし、うぅ。この時期は花粉症がひどくて映画を見ているどころではないことがよくあるので、それも判断を鈍らせる理由になっているのです。くそう。

さて、ベズモーズギス『ナターシャ』を読みました。ロシア系ユダヤ系カナダ人の連作短篇集。連作といえば秒速ですが、それはとりあえずおいといて、ベズモーズギスのこのデビュー作は、発売当初からぜひぜひ読んでみたかったのです。6年経ち、やっと読めました。7篇収められていますが、いずれも大変読みやすく、またおもしろい。チェーホフの再来、と呼ばれていて、なるほど短編の名手であるかもしれない。抑制の効いた淡々とした簡潔な描写はとりわけチェーホフを喚起するところがありますが、ただし、全体的な印象から言うと、チェーホフではない。

チェーホフと一概に言っても、チェホンテとしての、散文作家としての、戯曲作家としてのチェーホフは自ずから異なってくるでしょうし、果たして「チェーホフ的」と一般に言われるものが何なのか、というのは実はちょっと難しい問題かもしれません。チェーホフ的と言われる作家たち、例えばこのベズモーズギスとカーヴァーを比べてみると、似ているのは簡潔な表現で短編を書いていることくらいです。読後感はかなり違います。やはりチェーホフの再来と言われたヴァムピーロフはなるほどチェーホフらしいところがありましたが、恐らくそこには、ユーモアと人生を受け入れる諦念とがあったからのような気がします。

ベズモーズギスにそれがないのか、と言えば、会話の端々にそこはかとないユーモアは確かに滲んでいるし、人生のやるせなさが窺える短編もあります。ですが、そのユーモアは「ロシアらしくない」。アメリカの作家のようにもっと洗練されていて、同時に少し下卑ています。少年の悲哀をベズモーズギスは描いていますが、それはチェーホフ的な残酷さ、冷酷さ、胸に突き刺さるような惨憺たる苦悩とは遠いように思います。やはり洗練されているんですね。

これがデビュー作とは思えないほど切り詰められた言葉で表現しているのは見事ですね。催涙的な効果を狙うことなく、ただ簡潔で的を射た言葉を連ねてゆく。ああそうか、大仰でないところ、つつましく見えるところはチェーホフらしいかも。もっとも、チェーホフにそんなにこだわる必要はないのかもしれませんが。