「高畑勲・宮崎駿作品研究所」の叶精二氏は、今回の事件を受けて次のように書いています。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件に揺れた1995年、宮崎駿監督は(事件発生以前に)
「On Your Mark」で放射能汚染された大地とコンクリート壁で覆われた退廃都市を描きました。
最悪の状況でも「On Your Mark(位置について)」を映像のリフレインで繰り返し、
「やり直しは可能だ」「まだ引き返せる」と語りかけました。
今度も再起の可能性を信じたいものです。
また、同時上映された「耳をすませば」を監督された故・近藤喜文さんは
以下のように語っていました。
「困難な時ほど、より健やかに」と。
(http://www.yk.rim.or.jp/~rst/cgi/minibbs01/minibbs.cgi)
アニメーションを研究する側、あるいは文学を研究する側は、実際的なことには無力かもしれないですけれど、この叶さんのように、過去の作品から教訓を引き出したり再起の希望を見出したりして、人々を勇気づけることはできるのだな、と思いました。アニメーション・文学を問わず様々な作品を鑑賞しその解釈を自分なりに行ってきたぼくも、そして文学研究にささやかながら従事する者として、叶さんに続きたいものです。
「On Your Mark」は、6分半の短編で、舞台は「放射能汚染された大地とコンクリート壁で覆われた退廃都市」です。その退廃都市で、二人の警官が翼の生えた少女を宗教団体から救出し、コンクリート壁を抜けて、外の汚染されたはずの大地の大空へと少女を飛び立たせる、という物語です。特筆すべきは、リフレインが多用され、何度も場面が巻き戻されて最悪の状況から希望へと物語が変転してゆくことです。ここに、叶さんは「やり直しは可能だ」「まだ引き返せる」という希望を読み取っています。
現実問題として、「引き返し」はもはや不可能の事態になっていますが、しかし「やり直しは可能だ」というのは本当だと信じたい。この作品では、放射能汚染された無人の土地がむしろ清浄の地、人間のいる都市が退廃した場所として描かれているように見え、そこには宮崎監督の思想が垣間見えますが、しかしそのような世界でさえも「生きるに値する」ということを宮崎駿は常に描いてきました。人間は本当にどうしようもないものだ、原発の安全を宣言してきた人間もどうしようもないものだ。でも、それでも生きるに値するのだ。苦しんでいる人がいる。助からなければよかったと嘆く人がいる。それでも、人生は生きるに値する。「On Your Mark」の次に作られた「もののけ姫」という作品はそういう物語でした。
「人間の業は罪深い」という思想があります。しかし、だから罰を受けねばならないのではなく、だから生きねばならないのです。宮崎駿は、いつもそんな世界を描いてきました。
世界はやり直しが可能だし、生きるに値する。「On Your Mark」で汚染された土地を憧憬すらした宮崎駿は、次回作の「もののけ」で、再び人間の側へ戻ります。「On Your Mark」は「位置について」という意味ですが、この作品(あるいは漫画版ナウシカ)で一度人間の業を認識した宮崎駿にとって、その行為はまさに出発点だったのであり、そこから、「よーい、どん!」と人間賛歌の作品群を、ときに楽天的すぎるほどの作品群を生みだしていったのではないでしょうか。何度でも言いますが、人間は、人生は、生きるに値する。思想的にどん底まで降りて行った宮崎駿の結論です。ぼくは彼の結論に従う。いまは、「On Your Mark(位置について)」の時期です。これから、よーい、どん!と飛び出してゆきます。
生きるための武器を何にするのかについて、amazarashiは「ぼくは歌で。君は何で?」と歌いましたが、ぼくはペンで。そしてアニメーションと文学で。これで生きていきます。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件に揺れた1995年、宮崎駿監督は(事件発生以前に)
「On Your Mark」で放射能汚染された大地とコンクリート壁で覆われた退廃都市を描きました。
最悪の状況でも「On Your Mark(位置について)」を映像のリフレインで繰り返し、
「やり直しは可能だ」「まだ引き返せる」と語りかけました。
今度も再起の可能性を信じたいものです。
また、同時上映された「耳をすませば」を監督された故・近藤喜文さんは
以下のように語っていました。
「困難な時ほど、より健やかに」と。
(http://www.yk.rim.or.jp/~rst/cgi/minibbs01/minibbs.cgi)
アニメーションを研究する側、あるいは文学を研究する側は、実際的なことには無力かもしれないですけれど、この叶さんのように、過去の作品から教訓を引き出したり再起の希望を見出したりして、人々を勇気づけることはできるのだな、と思いました。アニメーション・文学を問わず様々な作品を鑑賞しその解釈を自分なりに行ってきたぼくも、そして文学研究にささやかながら従事する者として、叶さんに続きたいものです。
「On Your Mark」は、6分半の短編で、舞台は「放射能汚染された大地とコンクリート壁で覆われた退廃都市」です。その退廃都市で、二人の警官が翼の生えた少女を宗教団体から救出し、コンクリート壁を抜けて、外の汚染されたはずの大地の大空へと少女を飛び立たせる、という物語です。特筆すべきは、リフレインが多用され、何度も場面が巻き戻されて最悪の状況から希望へと物語が変転してゆくことです。ここに、叶さんは「やり直しは可能だ」「まだ引き返せる」という希望を読み取っています。
現実問題として、「引き返し」はもはや不可能の事態になっていますが、しかし「やり直しは可能だ」というのは本当だと信じたい。この作品では、放射能汚染された無人の土地がむしろ清浄の地、人間のいる都市が退廃した場所として描かれているように見え、そこには宮崎監督の思想が垣間見えますが、しかしそのような世界でさえも「生きるに値する」ということを宮崎駿は常に描いてきました。人間は本当にどうしようもないものだ、原発の安全を宣言してきた人間もどうしようもないものだ。でも、それでも生きるに値するのだ。苦しんでいる人がいる。助からなければよかったと嘆く人がいる。それでも、人生は生きるに値する。「On Your Mark」の次に作られた「もののけ姫」という作品はそういう物語でした。
「人間の業は罪深い」という思想があります。しかし、だから罰を受けねばならないのではなく、だから生きねばならないのです。宮崎駿は、いつもそんな世界を描いてきました。
世界はやり直しが可能だし、生きるに値する。「On Your Mark」で汚染された土地を憧憬すらした宮崎駿は、次回作の「もののけ」で、再び人間の側へ戻ります。「On Your Mark」は「位置について」という意味ですが、この作品(あるいは漫画版ナウシカ)で一度人間の業を認識した宮崎駿にとって、その行為はまさに出発点だったのであり、そこから、「よーい、どん!」と人間賛歌の作品群を、ときに楽天的すぎるほどの作品群を生みだしていったのではないでしょうか。何度でも言いますが、人間は、人生は、生きるに値する。思想的にどん底まで降りて行った宮崎駿の結論です。ぼくは彼の結論に従う。いまは、「On Your Mark(位置について)」の時期です。これから、よーい、どん!と飛び出してゆきます。
生きるための武器を何にするのかについて、amazarashiは「ぼくは歌で。君は何で?」と歌いましたが、ぼくはペンで。そしてアニメーションと文学で。これで生きていきます。