けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

悪質さに見合った制裁を求めるには程遠い

2015-01-19 23:57:20 | 政治
「ナッツ姫」こと大韓航空の趙顕娥前副社長の初公判が始まった。確かに面白い話ではなるが、はっきり言ってどうでも良い話題である。しかし、セウォル号転覆事故においてもそうだし、ナッツ・リターン事件でもそうだが、やはりこの国は病んでいるとしか言いようがない。今日はこの辺についてコメントしてみたい。

最近になってナッツ・リターン事件の詳細が明らかになってきたが、確かに3代目のボンボンのお嬢の行為は褒められたものではない。航空法や刑法など5つの罪状に抵触する可能性があると言うが、この程度の悪行であれば世の中にゴマンとあるはずである。例えばチンピラが一般市民に因縁を吹っ掛けて、お金をカツアゲしたりする方がよっぽど悪質ではあるが、社会的制裁の規模は桁違いである。当初、私は大韓航空機の取締役などの役職を手放すぐらいで収まるかと思ったが、既に人格破壊のレベルまで追い込んでいる。そして、現在は拘置所に収監され、その状況が生々しく報道されている状況である。日本でも、逮捕された人の手錠などは映さないなど、罪人と言えど人権に配慮した報道がなされるが、韓国でのナッツ姫の扱いは、どの様な立場の人か分からないがナッツ姫を強引に報道陣の前に引っ張り出して、それをテレビカメラが一斉に映し出し、完全に晒し者にしている。自業自得ではあるが、彼女が精神的に鬱病などの症状に追い込まれた時に、その責任問題はどの様になるのだろうか?

この状況はセウォル号事件でも同様で、かなり早い段階から船長を報道陣の前に引きづり出し、こちらも晒し者にしていた。「未必の故意」が問われる可能性は大きいが、裁判が始まる前から「死刑だ!死刑だ!」と騒ぎ立て、事件の究明などよりも、早く晒し者にされた船長が死刑になるのを優先する様な論調である。しかし、犠牲者数から責任の重さは重大であるのは間違いないが、あの状況では無期懲役止まりになるのが常識的な判断なのだと思う。

これらは全て、「奴らは悪い奴だから、とことん、地獄の底まで苦しみを味わってもらう」という理屈で人民裁判や公開処刑を弄んでいる様な様相である。重要なのは、その悪質性に見合うペナルティではなく、人心が満足する様な(犯罪者側からすれば不合理な)一方的な重度の罰則が適用される。そこでは証拠や事実認定などは不要で、「問答無用」のもとに切って捨てられる。それを良しとする国民性なのである。

慰安婦問題などが解決不能な背景にもその様な傾向はあるだろう。「日本は悪い国だから、世界的にレイプ国家と蔑まれても当然である」という理屈が先にあり、証拠に基づいた事実認定や、悪質性の定量評価などはどうでも良い話となっている。最初から証拠など興味はなく、悪質性の定量評価もどうでも良いと思っていて、国民感情を掻き立てれば掻き立てる程、重い罪を課すことができると考えているから、韓国のマスコミも韓国政府もあの様な行動に出てしまう。

これは虐めの構図に似ていて、誰かがその場の雰囲気でイジメのターゲットを決めてしまうと、例えば「汚い」とか「暗い」とか適当な理由で、理不尽な状況に相手を追い込んで、そしてその周りの人々は、自分が如何にして「虐める側」に居続けるかに腐心する。マスメディアなどはその典型だし、韓国の政治家も同様であろう。自分が虐められる側に置かれないための最大の対策は、常に虐める側に所属し続けることであり、このためには虐められる側が何時までも虐められ続けることが好ましい。周りの傍観者も巻き込んだ方がリスクは小さいから、アメリカ国内にまで慰安婦像を作ったりして共犯者に巻き込もうとしている。慰安婦もナッツ・リターンもセウォル号も似た様なもので、これが事態を益々醜悪な状態に導いてしまう。

今回の事件を他国で起きた面白い事件と笑うのは簡単だが、日本のマスコミはもう少し冷静にこれらの事件を報道すべきである。妥当な判決であったり、妥当な社会的制裁であったり、その辺がどの程度の事件だったのかを過去の事件との対比の中で定量的且つ具体的に示すべきだと思う。それが今回の制裁とどれほど乖離しているかを示すことが、韓国という国の現実を写す鏡になるのだと思う。

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