今回は何が大変だったかって、1番つわり、2番は名付けでした。
モニョさんの時にはパパさんが本当に1つしか候補を考えてくれず、もうあたりまえのようにその名前にすることになっていたので、漢字が決まった時点で決まり。出産直後に助産師さんに「お名前は決まっているの?」と言われて「はい!○○です!」と勝手に公式決定してしまったパパさん・・・だったのですが、今回はまさに待望の女の子ということもあってかえって欲張り?になり、なっかなか決まりませんでした。
予定日が段々近づいて、ベビー服はどんどん出来上がるのに、名前はさっぱり。
モニョさんの時に買った名付けの本、実家にあった本、お友達におさがりでもらった本、困っていると聞いてご近所の方が貸して下さった本、パパちゃんが今回新しく買った本×2冊、それにネットを見まくりましたが、コレといったピンとくる名前はなく、日にちは迫るばかり。
さすがに焦って来たのでパパさんに電話がかかって来るたびに「名前は?」「名前は?」と言っていたら、あまり電話がこなくなった
産まれて来る前に私がつけたかったイメージは:
・木や植物、自然からくる名前
・出来れば秋のイメージの名前
・和風で古風で風流な感じの名前
・字と字の組み合わせではなくて一つの言葉(名詞)を使った名前
そんな感じでしした。
パパさんとは、実はギリギリまであまり話し合いをしていなくて、そのせいか?お互い目指している物が少し違っていたようで・・・・。
2度ほどメールで候補の名前が送られて来ましたが、こう言ってはなんですがなんだか昭和の香り漂う名前ばかり。同級生のお名前リストですか?っていう感じの。
パパさんはパパさんで、あれこれと考えてはくれていて名付けの本には山の様に付箋が貼ってあったりしたのですが、どうも昭和の香りが拭いきれず。むむむ。どうしましょ。
そんな中、モニョさんだけがハッキリ決まっていて、私が候補として出した名前の一つをすごく気に入ってしまい、お腹にいる時からその名前で勝手に呼びかけたり、幼稚園の先生や周りの人にもその名前の候補を話したりしておりました。
あんまりその名前が気に入っているので、他の名前の候補をあげてみても、
「あんちゃんは?」「餡子ちゃん?」
「かほちゃんは?」「アホちゃんて呼びそう。」
「かりんちゃんは?」「かりんとう?」
と、手当り次第に反対意見で切り返す。
モニョさんのあまりの気に入りぶりにパパさんも半ば降参で、「じゃあいいよ、仮決まりってことで。」と折れていたのですが、それにも「”仮”じゃないよ。」とモニョさんはビシッと念押し。
しかし、いざ産まれてみると、なんとなくその名前の漢字はどうも合わない。もともと名字がどちらかというと武士っぽい堅い感じの字なのに、名前に使う予定の漢字もイカつい。産まれてみてお顔を見た赤ちゃんのイメージは、小さいせいなのか、もっと甘えん坊な感じの愛らしい妹的な名前の方が合うんじゃないか・・・とパパさんやじーちゃん、ばーちゃんとも話し、そこからまた新たな名前を考える日々。
あーでもない、こーでもない。
私と実家の母は、市の広報に載っている赤ちゃんの写真と名前を見て「これはちょっとね~。」、テレビに出てくる女の子の名前を見て「あれはちょっとね~。」、と文句を言うばかりで新案はナシ。パパさんはすでに却下された昭和の名前や私のお友達の子供と同じ名前をまた引っ張りだして来て「あれはダメ?」と繰り返すばかり。
あまりに決まらないので、普段そういうことにあまり口出しをしない実家の父も毎日のように紙にアレコレと名前を書いて考え始めた。
色々考えてついに父が、「これだな。」と、言ったのがこの名前 ↓
『彩秋』
え?なんて読むの?? 「あやの」だそうです。
字面も美しいし、良いんだけど、いや、良いんだけれど、「あや」は分かるけど、「の」って? 「の」って????
「いいじゃん。」
なんと!居直った。
「読んでもらえない名前は可哀相」という、これまでの我々家族の暗黙の了解みたいなものが、この父の一言で一気に崩れ、急に一面バリアフリーに。でも、たしかその鉄則ルール光線を一番厳しく放っていたのは父だったような・・・。
いよいよタイムリミット最後の週末(でも後から調べてみると、名前が決まらなくてもとりあえず「未定」で出生の届けだけできると分かる。)、パパさんと全ての名付け本を一から見直し、ネットを調べまくり、赤ちゃん雑誌を買ってモデルの子の名前を見まくり、可能性の少ない名前もとりあえず書き出してみたりして、焦る焦る焦る。
しかしいくら新たな案を出しても、横から「そんな名前はみんなに笑われるよ。」「変だよ。」と批判ばかりする声アリ。モニョさんはどうしてもあの名前をつけたいみたいです。
え~~~~~いっっ!!なら、もうこれでいいじゃんっっ!
私たち夫婦がそれぞれ別々に考えて偶然1つだけつけたかった漢字が同じだった漢字を一文字入れて、妹がやってくることを誰よりも楽しみにしていたお兄ちゃんが、どうしても譲れなかった音をつけて、家族のワガママがたっぷりつまった名前を「いいじゃん。」と決めることにしました。
でも偶然にも私の希望通り、「自然なイメージ」で且つ「秋のイメージ」、そして「和風」な「名詞」でもあり、昔から素敵だなと思っていた詩のフレーズをイメージさせる愛らしい名前。
東洋からはるばると
わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる
ふかい意味をもっているようです。
これはもともと一枚の葉が
二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて
ひとつになったのでしょうか?
このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
わたしが一枚でありながら あなたと結ばれた二ひらの葉であることを
わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる
ふかい意味をもっているようです。
これはもともと一枚の葉が
二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて
ひとつになったのでしょうか?
このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
わたしが一枚でありながら あなたと結ばれた二ひらの葉であることを
その名の通り、いつかこの地球のどこかにいるあなたのベターハーフとちゃんと巡り会って、大好きな人とたくさんの愛に溢れ幸せに幸せに幸せになりますように。