先日の教育実習生のお別れ会でも,私は似たような場面を目にした。
本来,感動に包まれる場面になるはずだったシーンでも,盛り上げることばかりに一生懸命な子どもたちの姿があったのである。
1人1人が感謝の言葉を伝えれば,「イェ~イ」と言って拍手する。
歌を歌えば,訳の分らぬ振り付けをして盛り上げようとする。
それは一見すると,実習生を茶化しているようにさえ思われた。
異様なシーンであった。
お別れ会という場面でなければ,すぐにやめさせ,その行為を諫めたはずである。
このようなことを毅然として語り聞かせたあと,B君,Cさんも転校する旨を知らせた。
ついては,お別れの手紙をみんなに書いてほしいと話し,黄・赤・緑の3種類の便箋用紙を配った。
黄がAさん,赤がB君,緑がCさんへの手紙である。
紙を配り終わったとき,またしても場の雰囲気を読めない発言が聞こえた。
「先生,何行書けばいいのですか」
いったい何を言っているのであろうか。
例えば,ここで「20行です」とでも答えようものなら,この子は「そんなに書くのですか」という反応をするのだろう。
「3行です」と答えれば,「やった」と言い,本当に3行でやめてしまうつもりなのだろう。
更に次のような発言もあった。
「みんなに違うことを書くのですか」
いったい何を言っているのだろうか。
3人とも同じ内容になる可能性など,あるはずがないのではないだろうか。
子どもたちは冗談半分で質問しているのではない。
真顔で質問しているのである。
そのことがまた腹立たしく,かつ悲しい。
なぜこういう発言が出るのだろうか。
自分が教員になったのは22歳。最初に教えた子との年齢差は13である。
現在38歳。今教えている子どもたちとの年齢差は27である。
子どもとの年齢差が大きくなった。
私と子どもとの世界観が違い過ぎるのだろうか。
本来,感動に包まれる場面になるはずだったシーンでも,盛り上げることばかりに一生懸命な子どもたちの姿があったのである。
1人1人が感謝の言葉を伝えれば,「イェ~イ」と言って拍手する。
歌を歌えば,訳の分らぬ振り付けをして盛り上げようとする。
それは一見すると,実習生を茶化しているようにさえ思われた。
異様なシーンであった。
お別れ会という場面でなければ,すぐにやめさせ,その行為を諫めたはずである。
このようなことを毅然として語り聞かせたあと,B君,Cさんも転校する旨を知らせた。
ついては,お別れの手紙をみんなに書いてほしいと話し,黄・赤・緑の3種類の便箋用紙を配った。
黄がAさん,赤がB君,緑がCさんへの手紙である。
紙を配り終わったとき,またしても場の雰囲気を読めない発言が聞こえた。
「先生,何行書けばいいのですか」
いったい何を言っているのであろうか。
例えば,ここで「20行です」とでも答えようものなら,この子は「そんなに書くのですか」という反応をするのだろう。
「3行です」と答えれば,「やった」と言い,本当に3行でやめてしまうつもりなのだろう。
更に次のような発言もあった。
「みんなに違うことを書くのですか」
いったい何を言っているのだろうか。
3人とも同じ内容になる可能性など,あるはずがないのではないだろうか。
子どもたちは冗談半分で質問しているのではない。
真顔で質問しているのである。
そのことがまた腹立たしく,かつ悲しい。
なぜこういう発言が出るのだろうか。
自分が教員になったのは22歳。最初に教えた子との年齢差は13である。
現在38歳。今教えている子どもたちとの年齢差は27である。
子どもとの年齢差が大きくなった。
私と子どもとの世界観が違い過ぎるのだろうか。