「言語活動の充実」は学習指導要領改訂の大きな特色である。
言語は「行動」「活動」を伴ってこそ意味をなす。
文字として書かれたり,音声となって発信されたりして初めて意味をなす。
したがって,言語力は「活動」することによって形成されていくことは間違いないことである。
しかし,「活動していれば力がつく」というものではない。
言語活動の場を保障しただけでは,言語力は身につかない。
「言語活動」をすればよいのではない。
「活動」を通して「指導」するのである。
「指導」によって,「充実」を図っていくのである。
言語活動には「話す」「聞く」「書く」「読む」の4つが考えられる。
日常的に最も機会が多いのは,いうまでもなく「話す」「聞く」である。
しかし,これらの指導は活動主義的,経験主義的であるというのが実情である。
「充実」を最も手堅く具現化するための手立てとして,野口芳宏氏は3点を提言している(『国語教育』2008年11月号)。
(1)ずばり一言で
「ずばり一言」で問いに答えられるよう仕向けていく。
分かっていないから長くなり,長くなるから分からなくなる。
言えない子には教師がモデルを示す。
(2)「公的話法」で
「私的話法」は生活話法であり,日常話法である。相手との距離は近い。
一方,「公的話法」は教室話法,学習話法といえる。
「常より大きく,常よりはっきり,常よりゆっくり」と野口氏は言う。
「不自然な話し方をせよ」「価値ある無理」をして話せと言う。
(3)聞き手の反応を読みながら
話すことの目的は,相手に自分の考えを「伝え,届け,受け止めさせる」ことである。
そのためには相手の目を見たり,相手の表情を読んだりすることが必要になる。
話しさえすればいいのではない。
言語は「行動」「活動」を伴ってこそ意味をなす。
文字として書かれたり,音声となって発信されたりして初めて意味をなす。
したがって,言語力は「活動」することによって形成されていくことは間違いないことである。
しかし,「活動していれば力がつく」というものではない。
言語活動の場を保障しただけでは,言語力は身につかない。
「言語活動」をすればよいのではない。
「活動」を通して「指導」するのである。
「指導」によって,「充実」を図っていくのである。
言語活動には「話す」「聞く」「書く」「読む」の4つが考えられる。
日常的に最も機会が多いのは,いうまでもなく「話す」「聞く」である。
しかし,これらの指導は活動主義的,経験主義的であるというのが実情である。
「充実」を最も手堅く具現化するための手立てとして,野口芳宏氏は3点を提言している(『国語教育』2008年11月号)。
(1)ずばり一言で
「ずばり一言」で問いに答えられるよう仕向けていく。
分かっていないから長くなり,長くなるから分からなくなる。
言えない子には教師がモデルを示す。
(2)「公的話法」で
「私的話法」は生活話法であり,日常話法である。相手との距離は近い。
一方,「公的話法」は教室話法,学習話法といえる。
「常より大きく,常よりはっきり,常よりゆっくり」と野口氏は言う。
「不自然な話し方をせよ」「価値ある無理」をして話せと言う。
(3)聞き手の反応を読みながら
話すことの目的は,相手に自分の考えを「伝え,届け,受け止めさせる」ことである。
そのためには相手の目を見たり,相手の表情を読んだりすることが必要になる。
話しさえすればいいのではない。