一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

折口 信夫(1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)

2013年05月07日 | 文学者

折口 信夫(1887年明治20年)2月11日 - 1953年昭和28年)9月3日)は、日本民俗学者国文学者国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人歌人でもあった。

彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学基礎を築いた。みずからの青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。

歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。

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