一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

加藤和彦

2014年10月07日 | 

加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2009年10月16日)は日本音楽プロデューサー作曲家ギタリスト歌手。「トノバン」という愛称で呼ばれることもあるが、これはライブでドノヴァンの楽曲をカバーするなどしたことに由来する。

音楽界だけでなく、日本社会に大きな衝撃を与えた音楽家/プロデューサーの加藤和彦の自殺。その背景には、長年患っていたうつ病に加え、多額の借金の存在もあったとされる。ある音楽関係者が証言する。

「派手な暮らしぶりで知られた加藤さんですが、多額の借金で自宅マンションを手放すなど、ここ数年は金銭的に困窮していたようです。プライドの高い加藤さんが規模の小さい地方の音楽イベントにも積極的に出るようになり、『金に困っているのか』ともウワサになっていました」(音楽関係者)

 ニューミュージック全盛の1980年代には売れっ子の音楽プロデューサーとして活躍するも、90年代以降は目立ったプロデュース作品もなく、もっぱら懐メロ的プロジェクトへの参加が目立っていた加藤和彦。しかし、「あの素晴らしい愛をもう一度」など自作のヒット曲も多く、一定の印税収入はあったと推測されるが、「スタジオ機材などに凝っていた加藤さんの暮らしぶりでは、蓄財は難しかったかもしれない」(前出の音楽関係者)という。

 一方、加藤和彦の同世代には、実質上の引退状態にあっても、安定した暮らしぶりを実現しているケースもある。「翼をください」などの作曲で知られる村井邦彦は、音楽活動の後にプロデューサーに転じたという経歴が加藤和彦とも似ている。しかし村井は、プロデューサー業だけでなく、レコード会社や音楽出版社の経営者として権利ビジネスにも乗り出し、成功を収めている。

「村井さんは70年代末にアルファレコードを設立、YMOや戸川純などのヒットを出しました。特にYMOについては企画アルバムのリリース等で大きな収益を上げたといわれています。今は作曲活動なども再開していますが、音楽出版ビジネスで築いた財を元手に、渋谷区松涛に豪邸を構えて優雅に暮らしているようですよ」(レーベル関係者)

 音楽家として傑出した才能に恵まれた加藤和彦でさえも、最盛期の人気を維持することは難しい。また、地方興行やディナーショーで稼ぐ演歌界とは異なり、ロックやポップスの世界では老年向けのマーケットが十分に整備されているとは言いがたい。そんな厳しい世界で幸福な老後を送るには、村井氏のようなビジネス的な才覚が不可欠なのかもしれない。