一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

サルトル「文学とは何か](1952)

2012年08月20日 | 小説作法

41dvb56q86l__sl500_aa300_ 41zjdxn222l__sl500_aa300_

「書くとはどういうことか」「何故書くのか」「誰のために書くのか」という正面切った問いを立て、読む人間の自由な存在の全体にまで広げて論じた実践的文学論。「サルトル全集 第9巻」(1952年刊)の改訳新装版。

まず、『嘔吐』が執筆されたのは1938年であり、『存在と無』が1943年、『実存主義はヒューマニズムか』の公演が1945年、『文学とは何か』は1948年です。重要なのは『嘔吐』と『存在と無』の間にサルトルが戦争捕虜となっている点です。サルトルの『戦中日記』や後の対談等から読み取れるのは、サルトルが政治の問題に目覚めたのは捕虜体験からということです。『嘔吐』執筆時点ではサルトルは個人主義者であり、偉大な作家の人生が送れればそれでよいと単純に考えていた節があります。

「そうしてできあがるはずの人生も、私の頭の中ですでにあらかじめ描かれていた。それは、書物をとおして姿を現わすような、偉大な作家の人生だった」戦中日記p87

それが捕虜体験を経ることで、この世界で起こること、それは政治であったり諸々の社会問題であったり、とにかくすべてのことにわれわれは責任があり、それを引き受けなければならないというアンガージュマンの考え方が芽生えたと考えてよいでしょう。これは明らかに『嘔吐』ではなく、『存在と無』以降の思想です。
また、サルトルが実存主義という言葉を使いだすのは『実存主義とは何か』以降です。これもマスコミが実存主義という言葉をサルトルに対して使いはじめたのを受け、否定するのではなく、むしろ積極的に引き受けた、その結果なのでした。『存在と無』の中では実存という言葉すらほとんどまったく出てきていません。

よって、
>『嘔吐』という文学作品を通して実存主義を人々に伝える
というのは正確ではありません。前述の通り、もともと実存主義という言葉すらサルトルが使い始めたものではありませんでした。さらに言えば『嘔吐』の出版が決まる前にはサルトルはノイローゼ気味であり、思想を広めるどころの騒ぎではなかったのです。

「そして、ちょうどこの時期、最低の状態で――あまりにもみじめで、何度も平然と死を思ったほどだった」戦中日記p94

『嘔吐』にサルトルの哲学的直観が多数含まれているのはほんとうです。ただ、『嘔吐』をもってイコール実存主義というのは問題を単純化しすぎではないでしょうか。

ともあれここまで来れば『文学とは何か』の位置づけが理解できます。すなわち、『存在と無』以降のアンガージュマンの思想が色濃く反映された文学論です。人はみな今いる社会の中で、歴史の中で生きている、すなわち状況の中にいる。であれば文学の目的はただひとつ。状況の文学であることです。全体的な歴史と状況を書くことで、それを読者に発見させること。ひとたび文学の目標がこう設定されれば、書くこととはすなわち読者に向けて書くことであり、読者に呼び掛けることです。
そして現代社会の抑圧が文学において発見されるべき状況となってくれば、文学が呼び掛ける読者も必然的に抑圧されている人々とならざるをえません。こうしたきわめて政治的・倫理的な色合いを帯びた読者中心の文学論が、『文学とは何か』におけるサルトルの立場ではないでしょうか。