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イスラム科学

2012年10月27日 | イスラーム

イスラム科学とは、8世紀から15世紀イスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。

歴史

イスラム帝国が形成されアラビア語が学問の言語として広い地域で使われるようになる以前の、エジプトメソポタミアといった古代オリエントの文化や古典古代ギリシャペルシアインド中国などで発展していた科学をもとに発展した。

法学神学語学文学などのアラブ人伝来の「固有の学問」があったが、これに対し、上記のようにしてイスラム世界にもたらされた学問には哲学論理学幾何学天文学医学錬金術などがあり、博物学地誌学などとともに「外来の学問」と呼ばれた。ただし、外来の学問であっても正確な知識を求めることはハディースに照らしても神の意思を知るためのイスラムに相応しい行為とされ、「固有の学問」を修める学者が「外来の学問」を兼修することはまったく珍しいことではなかった。

ムスリムの治める地域において、ムスリムを中心とする人々が科学の研究へと進み始めたのは、8世紀に成立したアッバース朝のもとであった。アッバース朝ではカリフや宮廷のワズィールたちの保護と学術振興の意思に基づいて主にギリシャ語の翻訳が始まり、特に第7代カリフマアムーンが創設した研究施設バイト・アル=ヒクマ(智恵の館)には多くの科学者が集まり、ギリシャ科学のアラビア語への翻訳が進められた。マアムーンに仕えた科学者のひとり、フワーリズミーは、インドの天文学数学を取り入れて、代数学や数理天文学に関する著作を残した。

9世紀にはこの成果がアッバース朝の隅々にまで行き渡ったアラビア語による学問のネットワークに乗せられて知識人たちに広く受け入れられ、イスラム哲学の祖として知られるキンディーのように、同時に数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々な学問に通じた学者が多くあらわれた。

10世紀から11世紀には、アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹に、アラビア科学は空前の発展を遂げ、プトレマイオスの天文学を改良したバッターニー、数学・天文学に通じ光学に関する重要な著書を残したイブン・アル・ハイサム、哲学と医学の分野でヨーロッパに大きな影響を与えたイブン=スィーナーらが活躍したが、中世以降のヨーロッパにおいて科学が劇的に発展し、14世紀から15世紀にかけて、アラビア科学は廃れた。

21世紀になってイスラム科学の復古運動とも言うべきものが始まっている。20世紀のアラブ諸国は欧米文明を吸収する形で近代化をすすめていたが、イスラム社会とキリスト教社会、ユダヤ社会との関係悪化とアラブ社会の教育水準や工業基盤の成熟などに伴い、欧米の技術に頼らないイスラム社会の科学技術の確立を目指す方向へ向かい始めている。 欧米と断絶関係にあるイランは独自の科学と工業による兵器や原子力などの研究開発を進めている。 製薬や食品などの分野ではハラール品の開発に力を入れている。

特に原子力の分野においては日本や欧米が原子力廃止に向かう中で積極的に導入を行う国が多い。 このまま進めば欧米諸国で原子力技術が無くなり、イスラム諸国で発達するという現象がおきかねない。