一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

竹田の子守り唄

2018年12月19日 | 社会
この曲は複数の被差別に伝わる子守り歌(子守の仕事をしている子供の労働歌)である。

この民謡・歌曲が注目されたきっかけは1969年(昭和44年)にフォークグループの「赤い鳥」が「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」で演奏したことである。しかし、そもそもは住井すゑの『橋のない川』が舞台化される際、音楽担当であった尾上和彦が被差別の一つである京都市伏見区竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったもので、それが竹田地区の解放同盟の合唱団のレパートリーとなり、フォーク歌手達にも広まったと考えられている。尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったので、「竹田の子守唄」とされた。それ以前は題名が付いていなかった。

他のフォーク歌手が歌うのを聴き、赤い鳥も歌うようになった。最初は、この曲の由来や意味も理解していなかったが、ヒット後に背景を調べ自分達のものにしていった。1971年2月5日にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとするが、被差別絡みの楽曲であったために日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり[1]、いわゆる「放送禁止歌」(封印作品)として長い間封印されることになったが、1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされている。B面曲は「翼をください」である。

1974年12月 - 1975年1月には、NHKの『みんなのうた』でペドロ&カプリシャスによって歌われたこともある(編曲はヘンリー広瀬)。放送は大幅にアレンジされ、2番の歌詞とコーダ部分が省略された。同時期放送の『北風小僧の寒太郎』が何度も再放送され、また他の楽曲[2]も再放送されたのに対し、本曲の再放送は長期にわたって行われなかったものの、2015年(平成27年)10月-11月にラジオのみで41年振りに再放送される。

ロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」の別動チンドン楽団「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」も、震災被災地慰問ライヴの中、同曲をカバーしているが(アルバム『アジール・チンドン』に収録)、のちに彼らは、竹田地区の人々との交流により二つの元唄ヴァージョン(「竹田こいこい節」「竹田の子守唄(元唄)」)をレコーディングし、発表した(アルバム『デラシネ・チンドン』に収録)。