一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

婦人活動家

2018年12月03日 | 社会

「声でつづる昭和人物史~平塚らいてう」

「朝の訪問」(1954(昭和29)年2月8日放送)聞き手・小沢寅三アナウンサー ノンフィクション作家・評論家…保阪正康,【司会】宇田川清江

4回にわたり婦人運動家を取り上げます。第1回は女性思想家で婦人運動の先駆者として知られる平塚らいてうです。明治44年(1911)、平塚らいてうが中心となって発刊した文芸誌『青鞜』での言葉「元始、女性は太陽であった」はあまりにも有名です。今回は1954年放送の「朝の訪問」を紹介、「らいてう」という名前の由来、「青鞜」を創刊した経緯、女性の地位向上を目指し活動してきた婦人運動などについて語っています。

「私の自叙伝~婦人運動50年」(1961(昭和36)年9月4日放送) ノンフィクション作家・評論家…保阪正康,【司会】宇田川清江

第2回は、婦人運動家の神近市子です。神近市子は津田塾在学中に『青鞜社』に傾倒、その後、女学校教師を経て新聞記者になります。三角関係のもつれから大杉栄刺殺事件を起こし服役。戦後、65歳で衆議院議員選挙に出馬し当選、売春防止法の成立などに尽力します。今回は1961年放送「私の自叙伝~婦人運動50年」から「青鞜社」との関わり、毎日新聞社での記者時代、大杉栄との出会い、婦人運動の流れなどを語っています。



「教養特集・日本回顧録~婦人参政運動のあゆみ」(1)聞き手・古谷綱正(1962(昭和37)年4月9日放送)

2回にわたり婦人運動家の市川房枝を取り上げます。市川房枝は女子師範学校を卒業。小学校教師を経て新聞記者になり26歳の時に平塚らいてう等と「新婦人協会」を創立し婦人解放運動を始めます。28歳で渡米し帰国後「婦人参政権獲得期成同盟会」の創立に参加します。今回は1962年放送「教養特集・日本回顧録~婦人参政権運動のあゆみ」から婦人解放運動を始めた経緯、女性の参政権を得るための活動の様子を語っています。

「教養特集・日本回顧録~婦人参政運動のあゆみ」(2)聞き手・古谷綱正(1962(昭和37)年4月9日放送)

婦人運動家・市川房枝の2回目。1925年「普通選挙法」が成立し女性参政権に向け1930年「第一回婦選大会」が開かれます。与謝野晶子作詞の「婦選の歌」が披露されるなど機運は高まります。しかし、戦争の足音と共に運動は消沈し女性の参政権は結局、戦後となります。今回は1962年放送「教養特集・日本回顧録~婦人参政権運動のあゆみ」を紹介、女性の参政権に奔走した昭和初期から参政権を得た戦後までを語ります。