再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

ベトナム初訪問

2011-10-16 12:03:36 | チャット
先週の3連休明けの11日から14日まで、生まれた初めて、ベトナム国に行ってきました。首都のハノイで1泊、ホーチミンで2泊という駆け足の出張でしたが、親日的な新興国の一角であるベトナムを肌で感じることができたことは、とても貴重な体験でした。

ベトナムと聞けば、われわれ1950年代生まれの人間は、間違いなくベトナム戦争を思い出します。

1945年の太平洋戦争による日本の敗戦後、アジア、アフリカ地域での民族独立運動は、戦勝国である連合国に対峙する形で始まった。その中には、共産主義化への動きも急速に加速された。

ベトナムでも同様であり、一つの民族が連合国側と共産化とに分裂し、そこに米国を主体とした連合国側が介入していくという図式が展開された。

1960年頃から始まったベトナム戦争は、1975年の南ベトナムの首都であったサイゴン陥落により終結するまで、実に15年の長い年月にわたり、民族間の争いと、米国と北ベトナム(共産党側)との争いが続いた。

私が大学に入ったのは、1975年4月であり、ちょうどサイゴン陥落が4月30日、サイゴンがホーチミン市と改名し、南北統一がなされたのが5月なので、まさにクライマックスの瞬間だったのである。

そのあたりの国際社会の緊張や緊迫した状況をあまり感じることもなく、親の庇護の下に呑気な学生として学生生活を始めたことを、今さらながら赤面の思いである。

現在、大学生である息子や娘を見る目を自らに置き換えて、見直さねばとも感じている次第です。

それから35年あまりが経過。

ベトナムには、少なくとも表面的にはそんな戦争の傷跡は皆無であり、人々は活力一杯で高度成長を目指している様子。

今日よりも明日は良くなる。そう信じている人は、9割を超えるそうです。

ただし、ハノイもホーチミンも大都会であるものの、決してインフラが整っているとは言えず、全てがまだまだこれからである。

また、バイクの多さとマナーの悪さには、アジアの都会での特有ではあるものの、改善の余地が多々ある。

一方で日本が高度成長から安定成長まで辿った30年ほどの道のりをこらからの5年10年の短期間で達成しようという気概も垣間見える。今後、おそらくさまざまな成長の歪みも今以上に表面化するでしょうが、それらをすべて飲み込み、前に進むだけのエネルギーは膨大なものがありそうです。

エネルギー問題なども、まさにその一角。

先の見えない日本としては、やはりベトナムのような国の成長を支援しつつ、そこに居る人々の幸せを達成していく手助けをすることが、ひいては自らの国の成長にもつながるのだと思わざるを得ない。

闘わなくなった日本人。

出張直前に聞いた建築家の安藤忠雄氏の講演とも相まって、もう一度、自分自身を見直すとても貴重な契機となりました。