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再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

何度目かの事務所の移転

2014-11-09 11:45:06 | チャット
今月末の三連休明けから、新しい新宿での事務所で業務を行うことになりました。
これでビジネスマンとして働き出してから、一体何度目の引越しとなるのだろうか。
とても数え切れないほどの回数を経験してきた。
最近では引越し業者も手馴れたもので、個人しては以前ほどの大変さはないが、それでも一部の総務系の者は、なにかと気を揉んでいることだと思う。
ただ私個人として、今回初めてのことが一つだけある。
それはなにか?
社会人のスタートは、中央区から、そして港区、千代田区を転々として、また中央区へ戻り、そこからまたまた千代田区へ。いずれにしても、東京の中央三区から出たことはなかった。
今回、初めて新宿区へとなる。
人によると、中央三区とその他の区では、まったく雰囲気が違うと言うが、果たしてどうだろうか。
自宅からは、ますます遠くなるものの、年と共にあまり早起きは苦にならないので、朝はいいとして、やはり帰りは少し大変かも。
基本的には、変化することを楽しむ性格から、新しい出会いや出来事に期待しています。
7年お世話になった神保町よ、ありがとう!

少子化はどこが問題か?

2014-11-02 04:54:43 | チャット
少子化によって全国の自治体の半数が消滅する!
こんなショッキングな報告もあるが、果たして少子化という現象は一体どこに問題の所在があるのか。
単に出生率を今の1.4人台から2.0以上にすればいいのか。なぜそうしなくてはいけないのか?

実際には出生率が2.0では、今の人口水準を保つことはできないようで、子供の死亡率を加味すると、少なくとも2.07が必要のようである。

政府のようなお上の立場から、この少子化問題への政策や処方箋を出していくことが本当に国民は望んでいるのだろうか。
最近の若者の中には、2人以上の子供を持ちたいという願望を持った者が50%程度いるというアンケート結果があると聞いたことがあるが、これが本当であれば、そうした希望をかなえさせるように世の中を変えていくという発想がもっと必要なのではないか。
もし、そうした願望が少数派であるのであれれば、それはそれで少子化による人口減少もやむを得ないのではないか。無理矢理「産めや増やせ」はどうなのか、ましてやそれが経済成長、豊かさの維持のためなどとなると本末転倒のような気がする。

世の中の多数の人達が、特に少子化問題は、その問題の当事者でもある若者たちが本当に望んで社会とはなにかをしっかりと見極めることであろう。
そして、その望むことをできるだけ実現しやすくしていくことが政策や処方箋の本質になっていって欲しいものである。

経産省の覚悟に感じ入た!

2014-10-26 07:15:55 | チャット
先週末に太陽光発電関連のシンポジウムに参加した。
そこでのパネルディスカッションのパネリストの一人に、国の政策決定側のキィーパーソンが登壇し、彼の現状認識と共に、今後の方針が語られた。
再生可能エネルギーの中でも、特に太陽光発電への課題や批判が噴出するなか、国としてさらなる導入拡大に向けた支援を継続するという明確な考え方を提示されたことには、経産省のある種ぶれない覚悟を感じた。
そして、彼の最後のコメントでは、政策側も覚悟をもって支援を継続するので、事業者側も同様の覚悟と自覚をもって取り組んで欲しいとのこと。
こんな言葉は、オープンな場で政策決定の責任側としてなかなか言えることではないものだ。
それだけにその覚悟が本物だということか。
久しぶりに骨のある官僚に会うことができ、負けてはおれないなとこちらの覚悟と責任を新たにした次第である。

ああ~!国会よ

2014-10-18 10:33:09 | チャット
経産大臣、観劇会の会費処理の不手際で辞任?法務大臣もうちわを配って、刑事告発?
一体、この国の政治は、どうなっているのか?
追求する野党も野党だけど、大臣ともあろう方々の脇の甘いこと。
原発再稼働や再生可能エネルギーをどうするか、などなど、国の課題は山積みではないか!
もっとしっかりした人を選んで欲しい。これでは頭の切れる官僚諸氏に馬鹿にされるだけで、なにも進まないのでは。
一体国民は、この怒りを何処にぶつければいいのだろうか!

父親の役割とは?

2014-10-12 06:47:58 | チャット
息子や娘に自分の経験に基づいた価値観を明示すべきか、あるいは彼等の自主性を尊重して放任するか。
父親としての価値観を押し付けるのではなく、一つの考え方として提示することは、彼等が今後さまざまな人生の選択をしていく上で、大いに意味のあることだとは思う。
ただ、そうした押し付け行動は、時として衝突も生み出し、両者において精神のエネルギーが必要なものだ。
そこから逃げることの言い訳として、彼等への信頼という言葉を使うことは、親としての責任放棄なのかもしれない。
結局、彼等には自分自身のしっかりした背中を見せ続けることしかないのだと、自らに言い聞かせる今日この頃ではあるが。