稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.2(昭和59年6月1日)剣道の基本は形である

2018年01月28日 | 長井長正範士の遺文
No.2(昭和59年6月1日)

三、剣道の基本は形である。
その形には礼儀作法、気と間、呼吸、不動心、理にかなった打ち、
刃筋、手の内、残心等、数々の学ぶべきものあり、この形によって胆力を養い、
心の位、われ上位にありと言う心境になる迄、形を体得しなければならぬ。

形を体得せば竹刀剣道で思わず(自然に)形通り技が出るものである。
ここから出た無心の技は尊い。
剣道の稽古をただ練習と心得て形をおろそかにしている。
練習する前に先ず学ぶと言う事を考えねばならぬ。
例えば習字で言うと、いつまでたっても同じ字を書くことばかり考えている。
そうではなしに「一つの字が出来上がれば、又次の字を覚えてゆく」でなければならない。
剣道で言うと相手が代わっても相変わらず自分の調子(習慣)で打っている。
これは練習であって稽古ではない。
先師(古=いにしえ)の教えを守って考察(稽=かんがえる)し、錬り鍛えてゆくのである。

四、心の鍛錬した者(形を鍛錬し、その理合を体得した者)は構えが正しい。
正しい構えから正しい技が出る。その心はどこで養うかと言うと、それは形である。
その形は古流の形がよい。
私は小野派一刀流をやっているが、
いずれの形も昔は命をかけて作り出されたもので理論が整然としている。
形を重視した剣道は無限の上達ありと信ずる。
自分だけの調子の力の剣道は長続きしない。

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