稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.58(昭和62年4月11日)

2019年07月27日 | 長井長正範士の遺文


○親の子供に対する心がけについて
少年剣道指導者はよく心がけておかねばならない。
子供のやる気に自愛型と他愛型との二つがある。
この事をよく承知しておかないと躾を誤るから次に書いておく。

1)自愛型 子供の行為に金や物で報いるというやり方では
(続けてゆくと)子供は自分さえよければいい。自分だけ得をすればよい。
という心だから、そのためには何をやってもよいという「やる気」になり、
すべて俺が俺がという気持ちで皆より先に出るやる気になってゆき、
そういう子は人ともよく争う。

2)他愛型 すべての親が子供に望んでいるのは、
周囲の人達と仲良く調和してゆける力をつけたいという事で、
そのために子供の中に伸ばさなければならないのが他愛型のやる気で、
これは金や物ではなく、有難う、うれしい、助かった、すばらしい等という感謝の心、
よろこびの心、感動の心を全身で表現してゆくという子供への表し方で
子供は初めて伸びてゆく。

◎之がため親は次の事項を心がけてやらねばならない。

1)自分は動かずに口だけで子供を動かそうという態度をとらないで、
先ず親自身が、立ち、動き、働くという、いきいきした生き方を見せること。

2)・・・しなさい。・・・いてはいけないという支配、
命令、禁止、強制の形で接するのではなく、子供の中に「よしやって見よう」という
「楽しさ、自由さ、面白さの備わったやる気を大きく作り伸ばすように援助する。

3)他の人達と調和し、他の人達に役に立ち、
他の人達と共に楽しく暮せる能力を身につけさせる。

4)親が何かことを始める時に、子供に「ちょっと助けて、力を貸して、教えて、
というような救いを求め、それに対して、有難うと感謝する。
それによって子供は感謝されるよろこびを知り、更にやる気を増すものである。

所で今日のわが国では、子供の登校拒否、家庭内の暴力、校内暴力等、
深刻な社会問題になっている。

登校拒否の原因は、父は知らず知らず、自分の枠にはめている。
母は世話焼き、これによって子供はやる気が無くなるのである。

実に、親の過保護、過干渉、過期待は子供の人格を認めて心を開くとき、
子供は自分を認めてくれたことを喜こび、やがて自らの意欲を呼び起こすのである。

○やる気とは「生きる力」である。
それもきちんとした正しい方向性をもったやる気でなければならない。
親は子に対して、可哀想の思いが勝つと、わが儘依頼心の強い子に育つ。
可愛いいの思いが勝つと、又いけない。
ただ可愛いからこそ、厳しく、自分のことは自分でやるように躾ける。

躾は言葉で教えるのではない。目に見せて、しつけてゆくのである。
(女の子が春先の暖かい日に道ばたでゴザをひいて、
おもちゃのお茶わんなど持出して仲よくままごとをしている姿をよく見かけるが、
お母さんが何も口で教えないのに大人顔負けのお母さん役、子供役、姉妹役をやっている。
平素からチャンと見ているのである。ここが肝心。

之が為、

1)親も失敗を隠さないこと、
2)かげぐち、悪口をつつしむ、
3)可愛いい、可哀想の区別、
4)よい聞き手になってやる。
 (なま返事や空返事、又、よくある事であるが、
  今いそがしいからあとで、というなど最もいけない事である。)
5)言葉をかけ合う事、
6)食事を一緒にとる、
7)親子は裸でつき合う、
8)躾はユーモアをもって
 (王でも三振、猿も木から落ちる等の例をもって)、
9)えこひいきしない事、
10)叱り方を上手に(怒るは自分の感情が入っているからいけない)、
11)手をふれてやる、
12)子供を恥ずかしめてはいけない、
13)はいといいえの区別をはっきりさせる等心がける事。

道場でいつも言っていることは、
あごのひけた、背すじの立っている子はしっかりしている。
相手をまともに見て話が出来る子は躾がしっかりした証拠である。と

注)子供の躾、子供のやる気については、
昭和59.6.9、昭和60.6.8の二回にわたって全剣連の少年指導法担当講師として
私が大阪修道館でお話をした。受講された方はもう一度テキストを見て下さい。
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