嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

【リアルタイム速報】先ほど札幌市内のファミレスに行って感じたこと

2015年04月05日 19時45分09秒 | 嫌札幌
つい先ほど1年ぶり以上くらいに札幌市内のファミレスに行ってきた。

ファミレスなのに、まるで居酒屋のように騒がしく客層(大人も子供も)のマナーが悪い動物園のようなところで疎外感、嫌悪感みたいなものを感じるというか、とにかく居心地が悪い。
札幌人の中には中国人を馬鹿にする人も居るようだが、これでは札幌人も中国人と変わらない。。。

そんな空間に居ても物理的な食欲(胃袋)は満たせたとしても心から楽しめるわけがない。

これが隣の石狩市内のファミレスだと「本当に隣なのかよ!?」と思うほど嘘のようにその様なことがないのだが…

だから札幌の中のお店には行きたくないしお金も落としたくないということだ。

改めて「ああ、俺はこういうところに来たらダメだな」と強く感じた。

「こんなところに居ると札幌社会が感染してしまう、心が貧乏になってしまう、豊かな生活、望む生活ができなくなってしまう」と。


ちなみにファミレスの席の場では盛り上がって札幌の現状的悪口を言いまくってしまった。

「本当に札幌は酷いんだから!」
「本当にここの民度は酷いよ!」
「マナーも悪いし(この場を)見たらわかるでしょ!?」
「これが札幌なんだって!何処も同じ!根は同じだから!」
「まずはこれに気が付くことだよ!」
(その他もろもろ、ここには書けないようなことも言ったかもしれないし言ってないかもしれないし)





ファミレスに居る時間帯はずっと札幌の現状的悪口で盛り上がってしまった。

隣の席に居たお客が変な顔でこちら(私)を見てきており1度顔が合ってしまった。
(本当に変な人を見るような顔で私を見ていたのが印象的だった)

札幌社会の中では「札幌はおかしい!札幌は異常だ!」ということを言っている方が異端者になってしまう。例えるなら戦時中の日本、○朝鮮と同じような構図なのだ。

それらを理解できる人間というのは基本的に同じ経験をした方じゃないとわからないものであるからだ。
参照:このブログがわかる人とそうでない人の違い


今日は付き合いで1年ぶり以上に札幌市内のファミレスに行ってしまったが、絶対もう行かないなり!!!(笑)

札幌社会にはブタゴリラが足りねぇ by札幌が嫌いな管理人

2015年04月05日 15時34分16秒 | 嫌札幌
つい先日まで札幌市内(全道?)でも平日朝8時からキテレツ大百科の再放送をしていたことをご存知だろうか?

私も毎日見ていたわけではないが実際に8時に起きて何度か見てみたのだ。

そして今では自宅でパソコン作業をするときは片方の画面でキテレツ大百科を視聴し、もう片方の画面で作業をするくらいにキテレツ大百科にハマッている。

ちなみに先日はコロ助のボクサーブリーフを購入したほどだ。今後はコロ助のぬいぐるみが欲しいと思っているところでもある。


ところで私は作中に出てくるブタゴリラに一目置いて見ている。

ブタゴリラの実家は八百屋なのだが、あの商売根性というか、野菜にかける情熱、愛着は尊敬に値する。

ドラえもんに出てくるジャイアンと違って率先してお店の手伝いをして野菜を売り込むその姿は本当に見上げたものである。

私も一応は自営業らしきことをしている身だからこそ鈍感な私にもブタゴリラの凄さがわかってくるのだ。

個性と情熱を発揮しまくりなブタゴリラのような男が大成するんだろうなーと思う。同じ男として尊敬したい。あっぱれブタゴリラ。


そしてそんなキテレツ大百科を見ていると何処か懐かしさみたいなものを覚えるときがある。
参照:札幌に古き良き時は残りません

ブタゴリラもまた新鮮味を感じるし本当に良いキャラをしているなーと思う。

最初はそれを単純に私が懐古厨というやつなのかと思ったりもしたが、どうやらそういうことではないということだ。


札幌社会にはブタゴリラが足りねぇ by札幌が嫌いな管理人


この一言で全てを片付けたい。

心寂しい義理も人情も忘れた今日の札幌社会に最も足りない成分はブタゴリラなんじゃねーのかと。


早朝に見ていたキテレツ大百科(ブタゴリラ)が札幌社会で忘れていたものを教えてくれる by札幌が嫌いな管理人


がんばりたいときはブタゴリラを思い出せばいい。

札幌が嫌いな個性と情熱を活かせば、それはハンデにはならないと断言できる2

2015年04月05日 00時23分29秒 | 嫌札幌
(続き)


最近、読者様からこの様なメールを頂き、心の底から共感して私も全く同じ気持ちで日々の札幌生活を過ごしているので書き記しておきたい。



上記の画像(クリック参照)は読者様から頂いた一文を抜粋させていただいたものである。

「こんな札幌社会と言うものが身近にあるからこそ、僕もハングリー精神や気合いが入るんです!悪どい札幌社会に対抗してやるぜ!と言う心意気」は私も全く同じ気持ちで日々の札幌生活を過ごしているということだと再認識をしたのだ。


札幌社会が大嫌いになったことで本当に頑張っていきたいと思うようになったし、怠け者だった自分が努力をしたいと思うようになったし、ハリの無い生活から夢も目標もロマンもできてきたのだ。

こんなに大嫌いになった札幌社会が身近にあるからこそ反骨精神、ハングリー精神で頑張りたい!と本当に思うようになってきたのだ。

これ全部、札幌が嫌いになったから、それに適応して身に付いてきたものかもしれない。


「札幌(故郷、在住地)を大嫌いになるということが今では全くハンデ(マイナス要素)だと思わないっすね(キリッ)」(ここ笑うところ) by札幌が嫌いな管理人


ここまでの境地に至るまでには何かしらの苦労もしてきたのかもしれないし、今後も苦労をすることや失敗することも腹が立つことも泣きたくなることも時にはあるのかもしれない。

ただ札幌が大嫌いだという個性と情熱を活かしたい気持ちがある限りは、また立ち直って軌道修正をしつつ前を向けるんじゃないかと薄々感じている。

ここまで大嫌いになってしまった札幌を払拭していくという工程は決して簡単なことではないと思う。

しかし嫌いになってしまった土地(札幌)を自分の中で活かしていくことで、札幌が大嫌いなはずなのに楽しんでしまう生活というのは確立できると確信している。

前記事の東海大四が雪国のハンデを活かすことでハンデをハンデだと思わない環境を作って実践してきたように、
札幌が嫌いだという個性と情熱を発揮して活かしていくことで、がんばれること、努力できること、成長できること、楽しめちゃうということも出来ると確信している。

だから札幌が嫌いになるということは決してマイナス要素になるとは限らない。

実はそこにチャンスがあるのだと今では思える。

それを活かすも殺すも最終的には自分次第なのだろう。多分。

そう考えているから本当に頑張りたいと思うのだ。


(完)