あるBSの番組でコメンテーターが絶賛していたのが関西電力大飯原子力発電の安全性を巡る判決文。
ご存じのとおり福井地方裁判所が福井原発周辺住民が安全性が不十分として大飯原発の再始動停止
を求めた裁判に対し福井地裁は「運転の再開を認めない」との判決を下したその判決文。
「人格権にまで言及している前例のない美文」なのだと。
ここでその部分を抜粋。
「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、
その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、
当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、
最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。
個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、
その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、
また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。
したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、
人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、
その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。」
それでは「人格」とは?
法律上の行為をなす主体。権利を有し、義務を負う資格のある者。
平ったく言うと我々国民ですね。(納税などの義務を果たしている等必ずしも果たしてなくても権利は有する様で)
そして「人格権」とはこの人格が損なわれない権利・・・「幸福追求権」などに繋がるものでしょうか
安全に生活する権利がこの場合当てはまるのかしら
「安全に生活する権利」はわかるとして「安全な生活を保障する」ってどういう事なんだろう
人類が誕生して「安全」はもちろん人類の手で守られてきた。
「人間の安全な生活を守る権利が我々人間にはある」
「そしてまた施政者にはその権利を守る義務がある」という事はあたりまえ。
「守る義務はある」が「100パーセント守る事は不可能」という事も自明の理。
なので「リスク・マネージメント」という考え方が重要になるわけなのだ。
要するに常に我々人間社会は犠牲を伴い最小限の犠牲に収めるための努力が
人間の英知により続けられているのだわね。
人間が他の動物と違い「技術」を入手したのは「火を人工的に作った」事が起源とされている。
火は人間の環境の向上に貢献したと同時に人間を取り巻く環境を破壊しもした。
最大の注意を払い「火」を取り扱う事を人間は学んできた。
この21世紀になっても「火」の事故が後を絶たないのだけれど・・・
江戸時代はもっと頻繁に「火」の事故いわゆる火事で大阪の街は被害を受けてきたんだなと
NHKのドラマ「銀二貫」で知ったばかり。
火事は江戸の専売特許だとばかり思っていたよ~「火事と喧嘩は江戸の華」ってね
人間の生命を脅かすものそれは「病」この対処法として医療が発達し「薬」も古くから
試行錯誤されたけれど、自然由来、科学的な薬剤、共に副作用のリスクは伴う。
人間が完全に安全に命、生活を保障される物などこの世に存在しない。
何度もこのブログで書いているけれど私は原発は将来的には廃止しなければならないと考えている。
次世代エネルギーの開発を急がなければならない。
しかし自国領域内で化石エネルギーの恒久的、安定的供給が見込めない現在、
原子力は重要なエネルギーであるわけで。
センチメンタリズムをあおる判決は理性を欠いている。
それに賛同を送るこの番組のコメンテーター・・・
「この局どこ???」「BS朝日」・・・・なーるほどね
最後にマキャベリのこの言葉を。
「国を守るために悪事を行わざるをえないときは、非難されてもひるんではいけない。
あらゆることを考え合わせてみると、美徳と見えた物が実際は命取りになったり、
悪徳と見えた物が安全と繁栄につながったりするからだ。」