渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

速度についての雑感

2021年05月17日 | open


私が17才の時初めて乗った競技車両。
ホンダMT125R。
1976年製。123cc、25PS/10500rpm。
前に進む体感は、5年後に登場した公道車
のヤマハRZ350によく似ていた。
ヤマハTZ125が発売保留の期間だったの
で、ヤマハ系チームのライダーでもプライ
ベーターはホンダのMTに乗っていた。
逆に250クラス、350クラスはヤマハTZ
しか無かったので、TZワンメイクレース
となっていた。ホンダ系の人たちもヤマハ
に乗っていた。

81年から市販車改造クラスのF3カテゴリー
が新設されて、2スト250と4スト400の
混走カテゴリーが全レースの中で一番人気
となった。84年には全日本選手権にも組み
こまれた。
クラスも70年代のノービス、ジュニア、
セニア、エキスパートではなく、ノービ
ス、国際B級、国際A級の3種になった。
1980年代はモーターサイクルスポーツが
先進国で大隆盛の時代だった。

80年代は純ロードレーサーのみを用いる
GP250クラスと、公道車改造のF3にダブル
エントリーのライダーも多かったが、ダブ
ルはほぼ有力ショップ系。
ただ、F3マシンはレーサーにすると改造
度合いが天井知らずで、純レーサーのGP
クラスよりも費用が膨大にかかった。
また、鈴鹿4時間耐久では1980年には
純レーサーでの参加も認められていたが、
のちにF3クラスとプロダクションクラス
からのマシンエントリー縛りとなった。
2ストはばかっぱやだったが、やはり排気量
の差、4スト400が最高速は速かった。
ただ、インフィールドに入ると2ストの
突っ込みと高速度旋回と脱出スピードの
速さが見られて、混走レースとしては非常
に面白かった。

125クラスは、純レーサーの速度として、
筑波最終コーナーの旋回速度が速い人で
164km/h位だったようだ。
これは1970年代も80年代も変わらない。
変わったのは最高速だ。
GP125クラスが消滅する前あたりでは、
125の最高速は260km/h程出ていた。
2スト単気筒でだ。500では300数十キロ
だった。

競技は速度を出す事が必須だ。
毎年、どんどん速度は上がって来る。
だが、危険度が上がるのではない。
速度と危険度は直接は関係がない。
公道では、建造物、対向車、歩行者、飛び
出し、信号、いろいろなものが沢山ある
から、その中で自己制御できる運行に適し
た速度が規制速度として決められている。
サーキットにはピットレーン以外の本コー
スには速度規制も信号も無い。
走り方もだが、存在基盤が別物なのだ。
ただ、サーキットには強制減速させるシケ
インが設けられる事がある。
これは、高速度で危険な為ではなく、別
なファクターとしてレイアウトの設計思想
がある。表面上は速度を出ないようにする
のがシケインだが、「速度が出過ぎる為に
危険だから」とシケインを設置するのでは
ない。安全性の確保とバトルポイントの
増加の為だ。マシンの性能次第ではなく、
乗り手の技能の勝負をさせる場所として
シケインが実体的機能を持っている。

しかし、オートバイの操作原理は一緒だ
し、車の構造も一緒だ。
そして、乗り方も実は公道も競技も、基本
軸は同じなのである。
心構えとしては、公道はコース以上に別物
要素に多く注意を払う必要がある。
単純比較はできないが、危険度だけで言っ
たら、公道のほうがサーキットよりはるか
に危ない。
ただ、危険の種類が異なる事は識別しない
と安全性を確保できない。
公道もサーキットも「一か八か」は存在
しない。
簡単に死んじゃうからだ。

ブレーキやシャシフレーム等、世界最高の
安全性を持っていたホンダNSR250Rだっ
たのに、なぜ多くの人が死んでしまったの
か。
NSRは、昔のカワサキマッハスリーのよう
にパワーだけあって曲がらない、止まらな
いという二輪ではない。最高の制動力と
フロント周りの剛性とリヤのよじれの無さ
を持っていた。
なのになぜ多くが乗って死んだのか。
スピードなのか?
答えはノーだ。
スピード出し過ぎで死んだのではない。

モーターリゼーションという社会発達を
見る観点においては、安全のために速度
が出ない車にしてしまうというのは、見
誤った視点である。
もっとも、別カテゴリーとして、別な楽し
みを想定しての設計ならばよいだろうが、
スポーツマシンに速度のタガはめをするの
は、見誤りだ。
速度とパワー。これは高ければ高い程良
い。「高性能」としては。

そして、高性能であることは安全と結び
ついていなければ意味がない。機械だけ
走行するのではないのだから。
ホンダは、単にエンジンパワーだけでな
く、常に安全性の確保にも配慮した車作り
をしている。二輪車も四輪車も。
「一か八か」は、当然にしてやらない。

二輪で死なない事。
それはどうしたらよいか。
答えは、ある。
それは、頭を硬直させず、よく考える事
から始まる。

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