![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/12/b32656ad45696158bcb5c8b4b3a29dcf.jpg?1640401845)
愛洲移香斎と若き日の上泉信綱は
小舟の上で葦(あし/よし)の茎を
木刀代わりに太刀運びの稽古を
したとの伝承がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/43/c16187bd6b6eb8359c674797f0258116.jpg?1640403259)
多分、小刀で穂を落として用いた
事だろう。
稲科の葦は日本国中どこでも生え
ている。吉原なども葦原が語源だ。
古語のアシは悪しの忌意に通じる
ので後年ヨシ読みが発生した。
佳字(嘉字)の吉に通じるためだ。
愛洲と上泉の伝説が真実ならば、
波無き内水面を行く小舟と考え
られる。
ラインくだりのような激流では
あるまい。
場所は水郷地区か。
日本の剣術史の源のエリアだ。
位置的には、なんとなく、北浦
でも霞ヶ浦でまなく、外浪逆浦
のような気もする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cc/debf2f7792fe44209bfb7985728f9eb5.jpg?1640402548)
外浪逆浦。
そとな さかうら。
外浪と書いて「そとな」と読ませる。
何だか剣術の業名のようだ。
ありそう(笑
「外浪」
「逆浦」
というのが。
木剣でバチバチ力任せに打ち合う
のが剣術稽古かと勘違いしている
としたら、その思考法と発想力は
凡夫の域を超える事はない。
葦簀(よしず)の葦よりも折れやすく
曲がりやすい生の葦の細い茎で、
刀法の基本である運刀の神妙なる
要諦を稽古したのが剣聖二者なの
である。
剣の理は稚拙な人間の妄想固執を
一切寄せ付けない。
理は不明より先立つ。
その理を解する者が聖域に達する。
而して剣の理は天の理なり。
剣理神妙。これに尽きる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/20/a29abfc90e350b83ea61f329a879c524.jpg?1640402937)