渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本剣術の発祥地

2021年12月25日 | open


愛洲移香斎と若き日の上泉信綱は
小舟の上で葦(あし/よし)の茎を
木刀代わりに太刀運びの稽古を
したとの伝承がある。

多分、小刀で穂を落として用いた
事だろう。

稲科の葦は日本国中どこでも生え
いる。吉原なども葦原が語源だ。
古語のアシは悪しの忌意に通じる
ので後年ヨシ読みが発生した。
佳字(嘉字)の吉に通じるためだ。

愛洲と上泉の伝説が真実ならば、
波無き内水面を行く小舟と考え
られる。
ラインくだりのような激流では
あるまい。
場所は水郷地区か。
日本の剣術史の源のエリアだ。
位置的には、なんとなく、北浦
でも霞ヶ浦でまなく、外浪逆浦
のような気もする。

外浪逆浦。
そとな さかうら。
外浪と書いて「そとな」と読ませる。
何だか剣術の業名のようだ。
ありそう(笑
「外浪」
「逆浦」
というのが。

木剣でバチバチ力任せに打ち合う
のが剣術稽古かと勘違いしている
としたら、その思考法と発想力は
凡夫の域を超える事はない。
葦簀(よしず)の葦よりも折れやすく
曲がりやすい生の葦の細い茎で、
刀法の基本である運刀の神妙なる
要諦を稽古したのが剣聖二者なの
である。
剣の理は稚拙な人間の妄想固執を
一切寄せ付けない。
理は不明より先立つ。
その理を解する者が聖域に達する。
而して剣の理は天の理なり。
剣理神妙。これに尽きる。



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