渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

KTM 390CUP 筑波ツーリストトロフィーレース

2024年04月25日 | open

【66歳でもREADY TO RACE】
KTM 390CUP 筑波ツーリスト
トロフィーレース動画!


予選ベストタイムがどれくらい
なのか計ってみた。
計測はその後動画で表示された
公式タイムと1/100秒まで同じ
タイム
だった。
もう自分は筑波は走れないか

知れないが、まだ計測はでき

模様(笑



ウエットぎみとはいえ、やはり
かつてのGP250とはタイムが
まるで違う。F3よりもGP125
よりもかなり遅い。
しかし、それでもワンメーク
レースは
面白い。

決勝本チャンでは1分10秒前後。
旧コースとはいえGP250は
58秒台だったので、いかに
純レーシングマシンと市販車
改造クラスの速度が違うかが
分かる。

筑波のTTやヒストリカルの
ローカルレースは私が高校
生の頃にいた
チームと他の
友好チームの人たち
主宰で
開始された。モータープロ
ダクト大谷はじめ三井
さん
や三原さんや野口さん
たち
が選手権レースとは別
なレ
ースを企画したのが
始まりだ。
三井さんはその後筑波のオ
フィシャル長になった。
私にサーキットでのイロハ
を教えてくれたのは三井さ
んだった。富士で廃止2年後
のバンクに見学に連れて行
ってくれたのも三井さん。
初めての鈴鹿でいろいろ教
えてくれたのも三井さん。
チームオーナーよりも親身に
いろいろ指導してくれた。
夜の世界と対人作法の礼儀
を教えてくれたのはオーナー
や先輩ライダーたちだった
が(笑
一人、広島県から都内に転住
した人で滅茶苦茶速い人が
チームにいた。当時のジュ
ニア(後の国際Bよりやや上。
当時の階級はノービス、ジュ
ニア、セニア、エキスパート)。
忠男さんがロードレース
に関
わり始めた頃の時代だ。
(のちにSP忠男はロードの

プライベーターコンストラク
ターの雄となり、ワークスライ
ダーや日本チャンピオンや世
界チャンピオンを輩出した)
その筑波でのローカルレース
の様子は劇画『ケンタウロス
の伝説』でも描かれていた。
あの物語に出て来る「ツルミ
サーキット」というのは筑波
がモデルになっている。
なぜツルミかというと、ケン
タのボス
の自宅が鶴見区にあ
ったから。

そのレースではラストレース
のシーンで、私のいた板橋の
チーム
がレースを主催してい
る設定
で、チームオーナーも
劇中に登場してい
た。

もうすぐ50年になるのに、そ
の筑波のローカルレースの脈
流が今でも継続して多くのレ
ースファンに楽しまれている
のは嬉しい。
私は今、街乗り車のタイヤの
交換メンテは、今筑波のその
ローカルレースで常勝のレー
シング
チームのショップに毎
回お願
いしている。
一番最初、作業を見学させて
もらったが、確かな技術で、
とても信頼できる。

モータースポーツは面白い。
レースはライダー一人では絶
対にでき
ない。
レースはチームスポーツだ。
そこがよい。
歯車がギクシャクすると全て
がうまくいかないが、ピタリ
と息が合うと本人たちも驚く
爆発力を発揮する。
レースの魅力はそこだ。
山あり谷ありで順風満帆が常
ではない。
まるで人の一生のようで面白
い。
ロードレースは特に面白い。
というのは、やる側でなく、
観る側に回ってもロードは楽
しめる
からだ。
ただ、やる側になると、選手
権などではガチになるので、
全生活全生命をそれに賭ける
ため、楽しさなどは一切無い。
剣の道を究めるのと同じく、
厳しい道程が待っている。
戦場に楽しみの趣味で臨む
人間がいないように、レース
もタイトルがかかったレース
ではそうなってしまう。
尻出しておどけていたケニー
が、モーターホームにこもり、
だんだん哲学者のように
なっ
て行ったように。



 


 



この記事についてブログを書く
« ニューライディング? | トップ | 福山ナンバー »