渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

東大1968年

2022年06月24日 | open

(NHKアーカイブスから)

安保闘争

安保闘争

昭和35年、東京の街は日米安全保障条約の改定を巡って騒然としていました。6月15日には、学生を中心とするデモ隊が国会の門を破り内部に突入しました。昭和45年の日米安全...

回想法ライブラリー | NHKアーカイブス

 

これは1968年の東京大学。
リンク先ページの動画から。


大学のノンセクト学生自主団体
であった全学共闘会議に対して
武装襲撃
を繰り返す日本共産党
(画像左側)
と全共闘を実力防
衛する新左翼超党派
連合(右奥
側)のゲバルト。
日共側は全員民主青年同盟(民
青)であるが、地区ミンと呼ば
れた品川区京浜地帯の労働者が
主体で、ゲバルトでは情け容赦
なかった。
一方新左翼側は、この動画と画
像に見られるだけで社学同(共
産同ブント)、ML派、旧共産同
マル戦前衛派、フロント、革マ
ル派等が確認できる。ブント系
諸派は安田砦から、革マルは法
文館からの出撃だろう。

1970年2月1日時点で鹵獲された

新左翼のヘルメット。

右上のベ平連と中段左の共学同と
フロントの色は緑である。これは
画像の関係で黒に見えるが実際は
緑。嘘のようなホントの話、南
こうせつは70年代末期のギター
雑誌の応募懸賞
品に明学時代の
ベ平連の緑のヘル
メットを出し
ていた。やめれ馬鹿
と思った。
1960年安保ブントの中心派だった
共産主義者同盟マルクス主義
戦線派は1967年のブント再建の
時にブントに再結集したが、60
年安保決戦時代と同じく関西派・
戦旗派との確執は解消せず、68
3月にブントから分離脱退。
さら
に同年中に共産同マル戦派
は前衛派と
怒涛派に分離した。
前衛派のヘルメット
は銀色で
前面に「安保共闘」。中段右
から二番目のヘルメット。73年
以降は前に「行動戦線」後ろに
「前衛」。前衛派は赤文字下地は
廃止で銀に黒字のみ。旧マル戦
怒涛派は赤ヘルに下外周ライン
入り。

下段右から二番目の反帝学評の
色はブルーである。日本社会党
社青同解放派。途中から新左翼に
なった。
日本社会党左派
(向坂協会派)は
白ヘルメット
に赤黒文字で「反
独占」と大書き
したヘルメット、
社会党に属した。
日本社会党社
青同主体と変革派は
銀色で前面
に「反戦」後ろに
「主変」。解放派同様途中から新
左翼になった。
既成左翼と新左翼の違いは、合法

的な政治政党であるか非合法公然
の政治結社であるかだけの違いだ。
結社の自由は憲法で保障されてい
るので、新左翼が党を作るのは違法
ではない。ただし、非合法非公然
の軍事組織は破防法に抵触するの
で完全に違法。軍事行動の行為も
存在も。破防法の組織適用は過去
にブント(共産同=社学同)に
適用された事例がある。連合赤軍
の銃撃戦でさえ、破防法適用とは

別枠として扱われた。
破防法は戦前の治安維持法そのもの
であるので、ブントこそが一番
国家にとって危険分子と国家が
判断したという歴史の一ページだ
ろう。

既成「左」翼の日本共産党は基本
が黄色ヘルで
あとは白や水色や
オレンジ等を適宜適当に使った。
文字は無し。
共産党はノンセクト学生や新左翼
への武装襲撃の時のみヘルメット
を被り、武器を所持して武装した。
新左翼、既成左翼含めて、一番
えげつない容赦ないゲバルトを
した組織が日本共産党だった。
樫のつるはしの柄の先端に長く
太い釘を
何本も打ち付け貫いた
武器「民主化棒」
を発明して
実行使用したのは日共
だ。当然
それで殴られた人間は
皮膚が裂け、
肉がえぐれ飛び、
動脈を損傷し
たら死亡する。

だが、容赦なくそれを振るって
人を撲殺するように殴る。
新左翼はまだ鉄パイプなどは
使用しておらず、折れやすい
杉の角材か竹竿程度だった。
理由は対人ゲバルトを闘争の主軸
などにはおかなかったのが新左翼
だったからだ。対立党派を突っ
ついて場所取りで向こう行け、と
やるのが本来の角材の目的だった。

新左翼も馬鹿ではない。投石を
するように、有効性のある武器
を武器として使う気ならば使って
いた。だが、ずっと何年も一発で
折れる杉の角材を使っていた。
それはなぜか、なのだが、マス
コミなどはそこは言及しない。

新左翼のゲバルト(対人戦)が
殺人をも伴う武装対峙戦となった
のは、共産党との幾多のゲバルト
新左翼は甘い情け心を出しすぎ
でボロボロに負け続けた事の反省
から、というのは確実にある。
日共はかつて山村工作隊や中核
自衛隊を組織し、火炎瓶闘争や
ゲリラ戦、銃による警察官殺害
等々を繰り返しており、日本に
おける本物の「テロリズム」を
実行していた組織だった。
有体にいえば「反ソ」を掲げる
新左翼とは全く異なり日共は中身
はソ連
の手先の反米民族主義団体
なのだが。インターナショナルを
装う徹底したナショナリズム。
しかも、天皇制に対置するものと

しての独自のナショナリズム。
1960年代末期においても、1955年
で武装蜂起路線を放棄した後でも
自分たちと異なる主張の勢力に
対しては米帝のスパイだ敵だ過激
派だと
でっちあげて社会キャンペ
ーンに力を注ぎ、一方では実力
暴力行使の武装襲撃を繰り返し

た。非暴力平和主義の使者面した
の実体とはまさしくそれである。
いや、まじでそれ。

実際にそれをやって来たのだから。
日本共産党の根底に流れるその
体質は今も一切変わらない。
60年安保で樺美智子さんが死亡
した事について国交さえなかった
中国政府が見舞金
を今日の金額
相当で一千万円送金
したが、日本
共産党がすべて「こ
れは中国共産
党が日本の前衛党に
送ったものだ」
として懐に入れた。盗取ですね。

かなり各方面で叩かれて、しぶ
しぶ共産党が樺さんの国民葬に
際して出した見舞金は5万円だった。
与党の上を行く汚い政党が日本
共産党であり、これは日本共産党
の正しい歴史を正しい日本史と
共に学べばよく分かる。
人民を裏切り続けて来た党利党略
のその体質は遥か自民党でさえ
全く適わない。手練手管デマと捏造、

自己正当化の権化なのである。
結局は、ロシアがそうであるよう
に、ソ連型スターリニストという
のはそんなもんみたい。

こういう事は教科書には書いて

いない。
また、公共放送などでも、その
あたりの歴史的真実は語られない。
なぜならば、日本共産党は、今は

(今も。1955年から)一般合法
政党、暴力を排する平和主義の
政党であるかのような擬態を装っ

ているからだ。
本当の事を言ったらとてつもなく
叩かれる。
でも暴力を排するどころか拝して
るのは果たして誰なのか、という
のが真実のところある。
そして、「差別用語辞典」などと
いうろくでもない物を作って、差
別を更に助長させたのが日共だ。
特に部落差別についての日共の
態度はひどすぎるものがあるし、
ここらあたりはよくよく歴史を
正確に知ってほしいと願う。


この記事についてブログを書く
« キューケース | トップ | ビリヤードのスポーツとして... »