渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

吉備路

2021年07月28日 | open


道を走っていて、「ここ、古い街道だろう
な」と思って地図を確認したら、やはり
古代山陽道だった。
町並みと道のレイアウトですぐにそれと
なく分かる。

この先、間もなく備後国に入る。


現在の国道とは少しずれていて、地図上
では国道と並走してずっと備中国分寺から
備後国分寺まで走っているので、容易に
古代吉備路は見つけられる。
バイパスや新国道のようにまっつぐでは
なく、うねうねのまま現代でも路があり、
その両脇に庭無し建物が並んでいたら、
まずほぼ旧街道だ。
そして、大抵は道幅は古代路のまま。

昔の人は凄いねえ。
歩いて行くんだよ。九州からでも奈良へ。
もっとも、好き好んで歩いて行くのでは
なく、強制的に朝廷によって歩かされて
たのだけど。
租庸調の庸の労役とは別の軍事徴用では、
人民に課した命令必携品が一つあった。
それは、砥石。
武具はお仕着せだが、刀剣の刃は自分で
付けろ、という事だ。
全国の人民は重い石を持って徒歩にて都
に集められた。
それからまた、防人などは赴任地へと歩
かされた。馬は荷駄を引く為。人などは
乗させない。人で乗るのは上級官人のみ。
古代街道約10数キロごとに設置された
駅家(うまや)なども、そこで宿泊休憩が
できるのは上級官人のみ。一般人民はそこ
らの路傍で各自勝手に寝とけ、という命令
だった。逆らうと獄入りか仕置きか殺され
る。
「朝廷」とはそういうものだったし、徴用
というのはそれだった。

つい数十年前の昭和にも徴用があり、国民
の殺生与奪権が天皇に委ねられた。
軍人ではない者たちを兵隊にして戦争に
刈り出した。
気のいい八百屋のおっちゃんや酒屋や
百姓や漁師のお父さんたちが赤紙一枚で
に取られて、殺生与奪権が国家に集約
れた。
そして、多くの国民が国家によって現実
的に殺された。
殺したのは敵国ではない。自国の国家が、
家族を引き裂いて勝手に軍事徴用で民間人
を軍に捕り、そして「お国の為に死んで
来い」だったのである。
事前にその事に疑問を抱かなせないような
国民洗脳は完璧に完了していた。
逆らうと片っ端から特高がひっ捕らえて、
拷問で殺した。
また、密告社会を作り、国民同士を疑心
暗鬼にさせ、人の心に闇を作った。
準備が出来てから、開戦に臨んだ。
日本はそんな国だった。
その残像は今でも根強く残っている。
残滓を滓とは思わずに、「美しいものだ」
とする人々によって。
人を殺せば殺す程「勲章」が貰えた事を
誇らしく思う人たちによって。


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